聖徳太子(しょうとくたいし)といえば、誰でも知っている名前ですが改めてどんな事をした人物なのでしょうか。
調べても何だか難しい言葉ばかり並べられて全然良くわからないんですよね。
今回は聖徳太子のした事について、伝説やエピソードを簡単にわかり易く紹介してみたいと思います。
聖徳太子、プロフィール
聖徳太子(しょうとくたいし)
本名:厩戸皇子(うまやどのみこ、~おうじ)または厩戸王(うまやどのおう)享年48(574年2月7日生 、622年4月8日没)
飛鳥時代の皇族、政治家
聖徳太子の偉業、何した人?
聖徳太子といえば凄い人ですが、そもそも何した人なの?って事ですよね。
特に有名な偉業を並べてみると、
・遣隋使の派遣
・冠位十二階の制定
・十七条憲法の制定
などがあります。
簡単にわかり易く紹介してみますよ。
1,遣隋使の派遣
聖徳太子のおかげで「中華と対等になった」ということです。
当時、隋(中国)は日本を格下にみていたのですね。でも聖徳太子は「これからは対等でいこう」と考えます。
そこで小野妹子を随に遣わしました。これが遣隋使(けんずいし)というやつです。
こちらの記事で小野妹子についてかんたんにわかり易く紹介しています。
2,冠位十二階の制定
聖徳太子が定めた制度の一つです。
天皇に使える役人たちを12段位で格付けしたものです。これまでは「一族」に身分が与えられていたのが、「個人」に身分が与えられたのです。
聖徳太子が目指していた政治は、天皇が絶対権力を持って行う政治でした。
そのため政治を「地位を持つ血筋だけが行う血族主義」ではなく、「本当に能力のあるものが政治を行う能力主義」へと変えていこうしたのです。
3,十七条憲法の制定
「十七条憲法の制定」は上の「冠位十二階の制定」と関わってきます。
12段位で格付けした役人たち為のルール、道徳、思想のようなものです。
「憲法」とありますが、法律というよりも教訓のような性質のものでした。
「十七条憲法の制定」も「冠位十二階の制定」も、隋(中国)の進んだ政治にならってのもので、天皇を中心とする国家づくりを目指していたからなのです。
他にもわずか20歳で摂政をしています。
摂政というのは、天皇が子供だったり、女性だったりする場合に天皇の代わりに政治を行う役職のことですね。
20歳で摂政だからもの凄いですよね。その後に先ほどの「冠位十二階」「憲法十七条」「遣隋使を派遣する」などを行います。
こんな感じで、せめてこの3つを語れれば、かっこがつくのではないでしょうか。
人物エピソード
聖徳太子を語ると、数々の伝説エピソードがありますね。キリがないほどに。
その中でも特に有名なものを簡単に紹介していきますよ。
1,いっぺんに10人の話を理解した
聖徳太子といえば「10人の話をいっぺんに理解できる」なんて伝説をお持ちの凄い人。
「ある時、厩戸皇子が人々の請願を聞く機会があった。我先にと口を開いた請願者の数は10人にも上ったが、皇子は全ての人が発した言葉を漏らさず理解し、的確な答えを返したという。」
凄いですね。(・∀・)
しかし、これはデマで聖徳太子を神格化するために作られた「作り話」であると言われています。
2,馬小屋で生まれた
生まれたのが「馬小屋の前」だそう。ちなみにイエス・キリストが生まれたのも「馬小屋」。
イエス・キリストといえばキリスト教。聖徳太子といえば世に仏教を広めた人。
馬小屋パワーは半端ではないのですね。(・∀・)
3,若いころはイケイケだった
実は若いころは「武闘派」だったそう。
当時14歳だった太子は頭に仏像を乗っけて、自軍を鼓舞しながら戦争を勝利に導いたといわれています。
仏像は四天王像という仏様のことで、戦争が終わった後お礼として四天王を祀るお寺を建てています。それが現在大阪の天王寺区にある、四天王寺というお寺です。
また調子にのって、超強い人を激怒させたりと、まさに「傾奇者」だったようですね。
4,予言がガチでヤバイ
聖徳太子の予言がガチであたってヤバイとのこと。
「平安京に都が出来る」だの、「黒船なるものが来襲」だの当時から色々予言していたとのことです。
そして実は、2030年には世界滅亡だのと騒がれているのもこの聖徳太子が関係しているのだとか。
聖徳太子の怖すぎる予言については、こちらの記事で詳しく紹介しています。
5,聖徳太子は温泉大好きだった
日本人は本当に温泉が好きなのですね。
四国の名湯・道後温泉(現在の愛媛県松山市)を訪れて、褒め称えたという記録も残され、他にもいろいろな温泉を嗜(たしな)んだのだそう。
当時の偉い人はよく温泉を嗜んでいたという記録があり、日本書紀(日本の最古の正史)にも、そういった事が書いてあるそうです。
6,死亡の理由は諸説あり?
聖徳太子には、毒殺、暗殺、自殺など、いろんな説があります。
1番よく言われているのが、自殺説です。これは622年に夫人である、菩岐々美郎女(ほききみのいらつめ)と一日ちがいで死亡したことから言われているのですね。
7,お札の肖像になった
これまでに7種類のお札の肖像になっているのですね。
100円、1000円、5000円、10000円のお札です。
それだけでもすごい偉人だということがお分かりいただけるでしょう。
こちらの記事で、聖徳太子のお札の価値について紹介しています。
こんな感じで、人物エピソードでした。
もっと言うと「あの有名な肖像画は聖徳太子ではない」だとか「実在していなかった」だとか、とキョトンとしてしまうような噂もあります。
つまり、聖徳太子については、真相はよくわかっていないのですね。
一部では「かなり神格化されているだけで、言い伝えをちょっとおとなしくした感じ」と言われていますが、確かにそんな感じでしょうね。
まとめ
聖徳太子は、教科書には必ず古代史の主人公とし登場しますし、旧一万円札に描かれたりしてとても有名です。
まるで超能力者のような人物のように後世に伝えられています。
謎だらけの聖徳太子は、これからも歴史のロマンとして語り継がれるでしょう。
ということで、
聖徳太子ってどんな人物?偉業や伝説、エピソードを簡単にわかり易く紹介でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます^^