大正時代

新渡戸稲造とは何した人?5000円札に選ばれた理由など簡単にわかり易く紹介

新渡戸稲造(にとべいなぞう)といえば、前の5000円札の人ですよね。

「武士道」を書いた日本の教育者で、「太平洋の掛け橋」となるべく国際平和に魂を捧げた人物です。

今回、新渡戸稲造の簡単な経歴5000円札に選ばれた理由は?について、紹介していきますよ。

 

新渡戸稲造、プロフィール

名前:新渡戸稲造(にとべいなぞう)
出身地:陸奥国岩手郡(現・岩手県盛岡市)
生誕:1862年9月1日
死没:1933年10月15日
享年:71歳(出血性膵臓炎)
時代:江戸時代から昭和時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

渡戸稲造(にとべいなぞう)は、1862年、現在の岩手県である睦奥国(むつのくに)に、盛岡藩士の父・十次郎と母・せきの3男として生まれました。

幼名は、稲之助です。

幼い頃は、藩校の作人舘に通い、学問と武芸を学びながら、新渡戸家と親しい医師から英語も学ぶ日々をすごします。

9歳のときに、東京に住む叔父の養子となり、英語を勉強し、13歳で東京英語学校(後の東京大学)に入学したのです。

 

士でもあり材木業も成功させた祖父・傳(つとう)と、藩主側近として活躍する父・十次郎は、ライフラインを整える開拓事業や運河工事に携わり、陸奥の国の農業発展に大きな功績を遺していました。

この新渡戸家の功績は、1876年の明治天皇巡幸(地方訪問)の際に、大いに称えられたのです。

そして稲造は、明治天皇より「祖父と父の意志を引き継ぎ、農業(農政)に勤しみなさい」天皇直々にお言葉を受け、札幌農学校を志しました。

そして1877年、15歳になった稲造は札幌農学校(後の北海道大学)に入学します。

 

幌農学校に入学時は、何かあればすぐに論争を繰り広げる熱血な青年でしたが、キリスト教徒(洗礼名:パウロ)となり、次第に、落ち着いた紳士的な青年へとなり、性格も変わって、西洋の文化と学問の魅力に惹きつけられました。

卒業後は、北海道庁に勤務しますが「太平洋の懸け橋になりたい」と国際社会で活躍することを胸に抱き、東京大学へ入学します。

そして更なる学問を求め、アメリカへと留学しました。

 

メリカ留学時代に、後の妻となるメリー・エルキントンと出会います。

こちらの女性の方ですね。

その後、3年間ドイツへ留学し農業経済学の博士号を与えられ、愛を育んできたメリーと国際結婚をしました。

 

1891年、帰国後は札幌農学校で教授として、農業科目だけでなく語学などの多くの科目を受け持ち大活躍しました。

しかし、過労によって体調を崩してしまったのです。

療養生活の間に英語で「武士道」を書き上げます。

この「武士道」は、アメリカのルーズベルト大統領にも読まれ、各国語に訳されベストセラーとなりました。

 

1901年、同じ陸奥国出身の政治家・後藤新平(ごとうしんぺい)の熱烈なオファーを受け、台湾総監府で働きます。

日清戦争後(1894年後)の台湾は、下関条約により日本の統治下にあったのです。

サトウキビの生産や市場に関する「糖業改良意見書」を提出し、台湾財政の独立にむけ、大きな功績をのこしました。

その後、教育者として京都帝国大学(現・京都大学)や、東京帝国大学(現・東京大学)の教授を歴任し、西洋文化を取り入れた新しい教育をおこないます。

 

1920年、国際連盟設立の際に、事務次長に選ばれました。

第一次世界大戦の終結後に世界平和への関心が高まり、「武士道」の著者として国際的に高く評価されていた功績によるものでした。

ヨーロッパのバルト海に浮かぶオーランド諸島を、フィンランド領とするなど戦後処理に力をつくしました。

事務次長を7年間つとめたあと帰国し、軍国主義へと突き進む日本に危機感を抱きます。

 

1931年に起きた満州事変で、日本が国際社会から孤立していく様子に耐え切れず、世界主要国と日本を取り持つように努力しました。

しかし、その努力は実らずに日本は戦争への道を歩み、国際連盟を脱退しました。

 

1933年、日本の国際連盟脱退から半年後に、平和への希望を持ってカナダでの国際会議に参加します。

日本代表としてスピーチを成功させましたが、志し半ばで倒れ帰らぬ人となりました。




5000円札に選ばれた理由は?

在の5000円札は樋口一葉(2004年発行)ですが、その前の5000円札(1984年発行)は新渡戸稲造でしたね。

なぜ新渡戸稲造が。お札の肖像画に選ばれたのでしょうか。

 

お札の肖像画になる基準は、正確には定められていないそうなのですが、

だいたいの理由として、

1,日本国民が世界に誇れる人物で、教科書に載っているなど、一般によく知られていること

2,偽造防止の目的から、なるべく精密な人物像の写真や絵画を入手できる人物であること

が、見られているそうです。

 

渡戸稲造が選ばれた新紙幣から、肖像に選ぶ人物は、政治家ではなく、より国民から親しみのある文化人が対象となりました。

そこからさらに、世界通貨「YEN」としての認知度アップのために、グローバルな人物が候補となり、新渡戸稲造が選ばれたのです。

新渡戸が英文で書いた「武士道」は、世界各国で親しまれベストセラーとなりました。

本のタイトルは「武士道」ですが、中身は日本人の倫理観や道徳心が、新渡戸の視点から書かれた内容となっています。

この「武士道」によって、日本は世界から注目を浴びて外国人から日本への興味が高まり、日本文化の理解が深まったとされています。

そしてこの「武士道」とともに新渡戸の名は世界で知られ国際人となりました。

新渡戸稲造の5000円札には、地球儀もデザインされており、「われ、太平洋の掛け橋にならん」の功績が称えられています。

 

ところで、紙幣のデザインは、偽造紙幣防止や経済効果を目的に約20年前後のタイミングで新しいデザインの紙幣にかわるそうですよ。

現在の5000円札の樋口一葉については、こちらの記事でかんたんにわかり易く紹介しています。

>>>樋口一葉とはどんな人物?お札に選ばれた理由は?有名作品や特徴は?

 

まとめ

新渡戸稲造とは何した人?5000円札に選ばれた理由など簡単にわかり易く紹介でした。

 

新渡戸稲造をかんたんに語るポイントは、

  • 英文で書いた「武士道」が世界でベストセラーとなった
  • 国際連盟事務次長になった
  • 太平洋の架け橋となるべく国際社会で活躍した
  • アメリカ人女性と国際結婚をしていた
  • 1984年発行の5000円D号券の肖像となった

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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