明治時代

福沢諭吉とはどんな人物?功績やエピソードについて簡単にわかり易く紹介

福沢諭吉といえば、日本人なら絶対に知っているでしょう。

みんなだいすき一万円札に描かれている偉人ですね。

『学問のすゝめ(すすめ)』の著者でもあり、学者としても有名な人。今回、福沢諭吉とはどんな人物なのか、功績やエピソードについて、紹介していきますよ。

 

福沢諭吉、プロフィール

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名前:福沢諭吉
生誕:1835年1月10日
死没:1901年2月3日(満66歳没)
明治時代
慶應義塾の創設者

 

坂本龍馬らと同年代。

慶応義塾(けいおうぎじゅく)の創始者であり、伝染病の研究や翻訳家としても偉大な成果を残した人。

福沢諭吉がもっとも活躍した時期は、江戸の末期から明治維新のころ。

明治維新がどんな様子だったかというと、江戸時代のような閉鎖的な世の中を変え、西洋の文化を積極的に取り入れ、少しでも人々が生活しやすくなるよう、福沢諭吉をはじめ頑張った人たちがいました。




福沢諭吉の偉業、功績

福沢諭吉

 

現代の一万円札にずっと描かれている、福沢諭吉大先生。

そもそも何をした人なのか意外と答えられないのではないでしょうか。

ここでは福沢諭吉の功績について、簡単に紹介していきますよ。

 

1,海外に出向き、その文化を日本に取り入れた

当時としては珍しく、海外に出向きその文化を日本に持ち帰った人でもあります。

それまであった日本の学校や病院の体系を一新し、海外の長所を取り入れたのです。

それまで庶民には馴染みのなかった肉食や西洋の衣食住も定着させました。

もちろん、新しい体制に納得しない人たちの反対にも遭いますが、彼は負けずに取り組みました。

福沢諭吉がいなかったら、現代の我々も常に“和服”で、屋根も瓦のままだったのかもしれません。

 

2,素晴らしい教育者だった

教育者としても素晴らしい功績を残した福沢諭吉大先生。彼が慶應義塾の創始者である事はあまりにも有名ですね。

彼の著書「学問のすゝめ」の冒頭にある、『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』はとっても有名で、現代社会の基盤となっています。

でも実はこれを誤解して解釈している人がほとんどなのです。

 

実はこの後にまだ文章が続いているのです。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり。
~中略~
されども今廣く此人間世界を見渡すにかしこき人ありおろかなる人あり貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや。」

これはつまり、「人間は皆平等なはずなのに、実際には優秀で金持ちな人、てんでダメな人と雲泥の差がついているという事が言いたかったはずなのです。

決して、「人はみな生まれながらにして平等。貧富の差や上下の差別のあるものではない。」などと綺麗事を言っているわけではなく、むしろ真逆です。

 

つまり、福沢諭吉が本当に言いたかった事は、

「人間は生まれながらに平等ではないんだよ!実際に生まれた家が金持ちな人もいれば生涯貧乏な人もいるからね!でも勉強を頑張れば、優秀になって出世できるかもしれないぞ!差は確実に縮まっていくから、ふてくされないで頑張れ!」

ってな感じではないでしょうか。

 

3,保険会社ができたのも福沢諭吉のおかげ

ヨーロッパにあって日本になかった制度のひとつが、保険でした。

災難がふりかかったときには、血族間でなんとかするという封建的な考え方が根強かった日本ですが、今では保険の考え方が当たり前になりましたね。

 

4,銀行をつくった

中央銀行の考え方を日本に伝えました。つまり日本銀行の設立に大きく貢献したのですね。

そして複式簿記を日本に伝えたのも福沢諭吉です。「貸方と借方」の読みは、彼の翻訳によるものだそうですよ。

 

5,新聞に初めて、天気予報を載せた

初めて新聞に天気予報を載せました。

その時に、現在の「お天気マーク」の元祖となるものを作りました。

 

6,一万円の肖像に選ばれている

今となっては馴染み深い福沢諭吉の1万円。

でも冷静に考えてお札に選ばれるということは、それこそがまさに偉業です。

ちなみに、これまで一万円に描かれたことのある肖像は、聖徳太子と福沢諭吉のふたりだけです。

 

こちらの記事で、福沢諭吉がお札に選ばれ続けている理由を簡単にわかり易く説明しています。

>>>なんで福沢諭吉がずっと一万円札?




面白い、凄いエピソード?

福沢諭吉のちょっとしたエピソード,食べものの分野でも凄いものがあったんです。

 

1,カレーライスという言葉を広めた人!

組織の中に西洋方式を取り入れただけでなく、西洋の衣食住も一般的に広めました。

カレーを広めたのも最初は福沢諭吉だとされています。

皆さんが好きな食べものの中にも、福沢が紹介したからこそ日本に存在するメニューがあるかもしれません。

 

2,「諭吉」という名前の由来?

「諭吉」という名前の由来は、父親が買った本からなのだそう。

儒学者であった父親は、諭吉が生まれた日に、「上条例」(清の乾隆帝治世下の法令を記録した書)を手に入れていたのです。その夜に諭吉が生まれたんだそうですよ。

 

3,めっちゃ酒飲み

少年の時からお酒が好きで、けっこうな大酒飲みだったそう。

禁酒中に「ビールは酒ではない」といい、毎日ビールは飲んでいたといいます。

また、その禁酒中に友人から「酒の代わりにタバコを吸え」と言われタバコも覚えます。

結局、禁酒も上手くいかず、酒もタバコもやりだしたのだそう。

けっこう人間味のありますね。

 

4,居合の達人だった?

実は、立身新流居合の免許皆伝を得ているという本物の達人です。

その稽古、鍛錬は、1日に1000本以上だったと言われ、死因では「居合のやり過ぎ」も一説としてあるほど。

 

5,大隈重信(早稲田大学設立者)とめっちゃ仲良し

福沢諭吉と大隈重信は凄く仲良しだったそう。

ふたりとも九州男児で、福沢諭吉は早稲田の開校式に「来賓」として招かれています。

>>>大隈重信とはどんな人物?義足の写真、大学を創立した理由等を簡単にわかり易く紹介

 

まとめ

福沢諭吉について、その功績やエピソードを紹介しました。

その凄さは、現代でずっと一万円札に描かれていることでもわかるでしょう。

新しい文化や制度を取り入れたり広めたりすることは、馴じみがないために、たいへんな努力が必要でした。

福沢諭吉は困難にめげず、新しい世界へと扉を開いた人なのです。

 

ということで、
福沢諭吉とはどんな人物?功績やエピソードについて簡単にわかり易く紹介でした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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