豊臣秀吉を5分で!天下統一の流れまで簡単に!

豊臣秀吉といえば、天下人。その名前はどれだけ日本史オンチでも聞いたことがあるはずです。

あの信長に、秀吉の見た目から「サル」と呼ばれていたことは有名ですね。

今回は、豊臣秀吉のエピソードや偉業を、カンタンにわかり易く紹介していきますよ。

 

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豊臣秀吉、プロフィール

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豊臣秀吉
改名:木下藤吉郎、秀吉、羽柴秀吉、藤原秀吉、豊臣秀吉
生誕:1537年3月17日(天文6年2月6日)
死没:1598年9月18日(慶長3年8月18日)
時代:室町時代後期(戦国時代) – 安土桃山時代
肩書き:武将、大名、天下人、関白、太閤

 

豊臣秀吉の偉業

豊臣秀吉はめっちゃ凄い人らしいのは知っているでしょうか。

でも具体的にはどんな事をした人なの?って事ですよね。

ここでは、豊臣秀吉の偉業をカンタンに紹介していきます。

 

 

1,百姓から天下統一、天下人となった

秀吉の偉業としてまず外せないのは、彼が天下統一したことでしょう。

彼が元々、百姓だったことは有名です。その後信長に仕え「サル」「ハゲネズミ」などと呼ばれていたことはもっと有名ですね。

最初は足軽兵だった秀吉も、出世しまくり、ついには天下統一する天下人となるのです。

これはめちゃくちゃ凄い事なのです。正に戦国時代のロマンが詰まった男なのです。

 

 

 

2,大阪城建築

秀吉は、大阪に自分の城(大阪城)を建てています。

城、城下町の規模は、当時で世界最大の建築だったそうです。

その城も秀吉節が全開だったようで、金箔の虎の飾りなどがあったそうですよ。

大阪城を立て始めたのが、信長が死んで1年後の事だというから、まさに秀吉が超イケイケの時期に建てられたものなのですね。

 

 

3,太閤検地

太閤検地とは、秀吉がおこなった政治のひとつです。当時としては画期的なものでした。

全国の土地で、どこがどれくらい米が取れているか、全国の米の取れ具合をほぼ完全に把握したのです。

で、米の取れ高を「石高」(こくだか)といい、この「00石」を手柄のあった人たちに「ほうび」として与えたのです。

よく聞く「100万石の大名」とかは、米で1石=1000合ですから、めっちゃ価値のある大名ってことなのですね。100万石=10億合ですから。

この太閤検地によって、

・土地の所有者がハッキリするから、税の収入が安定する。

・石高制による権威付けをする

などの目的があったのです。

 

 

4,刀狩令

刀狩りとは、これも秀吉がおこなった政治のひとつ。

農民たちから武器(刀)を取り上げて、農業ひとすじにさせたのです。

また、農民から刀を取り上げて、反抗できないようにする、争いごとをなくす等の目的があったのですね。

この刀狩りは、農民たちには意外と好評だったそう。

農民なのに戦になれば狩りにだされる、そんなのはこりごりだったのでしょうかね。

 

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面白い、凄いエピソード?

指が6本あっただとか、都市伝説のような逸話をもつ秀吉。

ここでは秀吉についての逸話、面白そうなエピソードを紹介していきますよ。

 

 

1,信長をも感心させる

秀吉がまだ信長の草履取りをしていた時のこと。

寒い時期、信長が女部屋からでて草履を履くと暖かくなっていたそうな。

信長は草履を用意した秀吉に、

「貴様、おれの草履に腰掛けていたな。」

と、杖で叩いたそう。

 

それに対し秀吉は、

「腰掛けてはおりません。寒いので御足が冷えていらっしゃるだろうと思い、背中に入れて温めておりました」

と頑固に言い張りました。

 

「なら証拠をみせろ」と、信長が言うと、秀吉は衣服を脱ぎ背中を見せました。

秀吉の背中には、下駄の鼻緒の跡がクッキリ。

信長は感心し褒め、秀吉を履取りの頭にします。その後秀吉を気に入るようになっていくのです。

 

 

2,信長に対する本心?

秀吉は信長の忠愛し、惚れ込んでいた事はよく知られています。

しかし、秀吉の言葉と思われる史料にこんな面白い言葉があるのです。

「信長公は勇将なり、良将にあらず。(中略)一度敵せる者は、その憤怒つひに解けずして、悉くその根を断ち、その葉を枯さんとせらる。故に降を誅し、服を戮せられ、寇讐絶することなし。これ量狭く器小なるが故なり。人のために憚らるれども、衆のために愛せられず」

このままだと、全然意味わかりませんね。(・∀・)

 

要するに、「信長さんは、とても勇敢でかっこよかった。しかし信長さんは、彼に背いた人を絶対に許すことをしなかった。降参してきても殺すし、常に敵討ちをしていた。これは人間の器が小さいからだ。人から恐れられはしても、人々から愛されはしない。」

という意味ですね。

信長に本気で惚れ込んでいた事は本当のようですが、それでもこのように「ちょっと違う」と思ったりはしてたようですね。

 

 

3,羽柴の由来

秀吉は「豊臣秀吉」よりも前に「羽柴秀吉」と名乗っていました。むしろこの「羽柴秀吉」こそが、戦国の世を駆け抜けていた“現役”の時の名前でしょう。

で、なぜ「羽柴」なの?って事ですが、これにはちゃんと由来があるのですね。

 

元々「木下藤吉郎」という名で、だんだんと出世をしていきました。

出世街道まっしぐらの時に、もっと武将らしい名前をということで、名前を変えたのです。

「羽柴」の「羽」は、丹羽長秀から。「柴」は柴田勝家からとったもの。どちらも織田信長の有力な家臣で、「羽柴」はガチの実力者たちからもらった名前なのです。

 

 

4,指が6本あった?

秀吉に関して有名なエピソードのひとつ。「秀吉、指が6本あった」説。

これはどうやら本当に本当なんだそうですよ。

秀吉の指が6本説については、こちらの記事で詳しく紹介しています。

>>>

 

 

5,めっちゃ愛されキャラだった?

「人たらし」と呼ばれるほど秀吉は、人当たりが良く誰もが好きになってしまうほどの愛嬌があったのだそう。

その愛嬌あふれる笑顔、軽快なフットワークがあったからこそ、百姓から天下人へと超出世できたのです。

まさに現在で言うアメリカンドリームを、秀吉は天下人となることで実現したのです。

 

 

6,落書き事件でみなごろし?

聚楽第(秀吉の家)の外門に、秀吉に対する悪口のラクガキが書いてあったことがあったそう。

これに秀吉は大激怒。ブチギレ。

まず、犯人を探すよりも前に、警備を担当していた人17人を処刑します。それも耳を切り落とし、鼻を削いで。(・∀・)

 

で、犯人は逃げまわりますが見つかります。匿っていた者たちと、その犯人をもちろん処刑します。

それでもまだ怒りは収まりません。

この匿っていた家を取り壊し、その家があった町を焼き払い、その町の全然関係のない人達60人以上も処刑にしてしまうのです。

秀吉の恐ろしさがちょっとわかるエピソードでした。

 

 

7,「王」の駒をつくった人

将棋の「王」の駒。あれは秀吉がつくったものなんだそう。

将棋はめっちゃ昔に中国から伝わったもの。駒の由来は人間が大切にするものなのだそう。

確かに、金、銀、馬、香料などはそうですね。「玉」は命、魂のこと。

これを秀吉は「ボスなら玉より王だろう。その方がかっこいいし、そうしよう!」と変えたのです。

で、その後、片方が「玉」、もう片方が「王」でわかりやすい。ということで定着していったのです。

 

 

まとめ

豊臣秀吉の気になる逸話、エピソード、偉業をカンタンに紹介しました。

元々は百姓で、そこから出世していったのですね。秀吉の人たらしっぷりと、出世意欲、そして底知れない気合と根性のおかげでしょう。

「天下人」で三英傑。この時代の偉人たちは、まさに日本の英雄なのですね。

 

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