田中角栄を5分で!伝説のスピーチやエピソード、ロッキード事件について

田中角栄(たなかかくえい)といえばカリスマ。元の内閣総理大臣ですね。

獄中から出馬や、数々の議員立法を成立させた強烈なインパクトのある人物で、日本を代表する豪快な政治家です。

今回、田中角栄のかんたんな経歴伝説のスピーチやエピソードロッキード事件について、紹介していきますよ。

 

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田中角栄、プロフィール

名前:田中角栄(たなかかくえい)
出身地:新潟県刈羽郡二田村(現・柏崎市)
生誕:1918年5月4日
死没:1993年12月16日
享年:75歳(肺炎)
時代:大正時代-昭和時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

中角栄(たなかかくえい)は、父・角次と、母・フメの二男として新潟県刈羽郡二田村(現・柏崎市)に生まれました。

田中家は農家の他に、祖父と父が、大工と牛や馬などの家畜を売っていました。

しかし、幼いころに父のビジネスが失敗したことで、田中家はドン底の貧乏になります。

 

学校に入ると、毎年クラス長としてリーダーシップを発揮し、卒業式で総代で答辞を読むほどに成績優秀でした。

家庭の経済状況を考えて、中学へは進学せずに土木事務所で働き出します。

 

16歳のころ、理化学研究所のアシスタントとして働くために上京しますが、採用してもらえず、様々なアルバイトをしながら神田にある中央工学校で土木や建築を学びました。

卒業後は建築事務所で働きますが、事務所オーナーが軍に徴集されてしまったのでやむを得ず独立しました。

 

1938年の20歳、徴兵制度により陸軍に入り満州(中国)に行きます。

が、肺炎を患い、帰国し改めて田中土建工業を開きました。

またこのころ結婚し、妻・はなを迎え、娘・眞紀子が誕生します。

 

28歳、事務所顧問の代議士・大麻唯男(おおあさただお)のバックアップを受けて、衆議院選挙に出馬します。

この時にあの豪快な「三国峠を切り崩して佐渡と陸続きにすれば新潟に雪は降らなくなる!」と演説しました。

残念ながら落選しますが、翌年の選挙で初当選を果たし政治家デビューします。

 

鉱国家管理法案をめぐり、賄賂受取の疑惑で逮捕されます。

しかしこれは後に逆転無罪となっています。

 

この時に獄中から出馬し、選挙活動期間がわずか10日間だったにもかかわらず見事再選しました。

数々の議員立法を成立させるなどエネルギッシュな活動で、1952年の衆議院総選挙ではトップ当選を果たします。

その後は郵政大臣として、戦後初めて30歳代で国務大臣に就任するなど、大注目の人気政治家になっていきました。

大蔵大臣、通商産業大臣を歴任しました。

 

1972年、54歳で「日本列島改造論」を発表し、第64代内閣総理大臣になります。

日中国交正常化を果たし、内閣支持率70%と人気の高い総理大臣でした。

日本列島改造論とは、人・物・お金の流れを巨大都市に集中させずに、地方にも分散させていこうという考えです。

新幹線や高速道路によって交通網を整備し、過密や過疎、そして公害問題が一部に集中するのを避けて、また農村部の貧困を解消できるという理論でした。

 

その後、ロッキード事件により逮捕されますが、政界に大きな影響を与え続けます。

67歳で脳梗塞で倒れ、75歳で亡くなりました。

 

伝説となった、スピーチ、エピソードは?

中角栄には、数々の伝説がありますがその中でも有名なスピーチとエピソードがあります。

ちょっと紹介してみましょう。

 

伝説のスピーチ

1962年、第2次池田勇人内閣で大蔵大臣となった就任挨拶のスピーチ。

エリート揃いの大蔵官僚たちは、中学卒の角栄をちょっと見下す雰囲気が漂っていましたが、堂々した潔い挨拶は大蔵官僚たちの心をすぐに掴んだと言われています。

そのスピーチがこちらです。

「私が田中角栄だ。小学校高等科(現・中学校)卒業である。

諸君は秀才揃いで、財政のエキスパートだ。

しかし、私は素人ながらトゲの多い門松をくぐってきて、

いささか仕事のコツを知っている。・・・。

一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。

我と思わん者は誰でも大臣室に来てほしい。

上司の許可はいらん。出来ることはやる。出来ないことはやらない。

しかしすべての責任はこの俺が取る。以上」

ちょっと凄いですよね。(・∀・)

 

貸した金は忘れろ

田中派の若手の議員が、女遊びの失敗で、どうしても100万円が必要になった。

その若手は、角栄に電話で100万円の借金を申し込んだ。

話半分まで聞いていた角栄は「わかった。」と一言。

 

30分もすると角栄の秘書が紙袋をもってきた。

その若手議員が開けてみると、中にはなんと、頼んだ額よりも多い300万円の現金が入っていた。

さらに、角栄が書いた一枚のメモが入っていた。

一、まず100万円でけりをつけろ

二、次の100万円でお前の不始末で苦労したまわりの人たちに、うまいものでも食わせてやれ

三、次の100万円は万一の場合のために持っておけ

四、以上の300万円の全額、返済は無用である。

若手議員はその場で涙したといいます。

これもかっこよすぎますね。(・∀・)

 

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ロッキード事件ってどんな事件?

ッキード事件ってなんなのでしょうか。

田中角栄を語る上で外せないポイントです。

これは1976年に発覚した、世界的な賄賂事件のこと。

 

アメリカの大手航空機製造会社のロッキード社が、業績不振に悩み各国の政治家に賄賂を贈りました。

角栄は、航空機の販売代理店だった丸紅を通じて5億円の賄賂を受け取ったとして、受託収賄と為替法違反の罪で起訴されました。

裁判の間、ずっと「記憶にございません」と容疑を否認し続けていました。

1983年に有罪判決を受けていますが、現代でも多くの謎が残り明らかな証拠がなかなか掴めない事件とされています。

 

まとめ

ということで、
田中角栄を5分で!伝説のスピーチやエピソード、ロッキード事件についてでした。

 

田中角栄をかんたんに語るポイントは、

・豊富な知識と行動力で「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれた

・インパクトに残るスピーチや行動で多くの人々の心を掴んだ

・六法を記憶し数多くの議員立法を成立させて、戦後復興と国民の生活基盤を整えた

・日中国交正常化を果たした

・ロッキード事件で逮捕された

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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