茶々(ちゃちゃ)といえば、戦国時代の大河ドラマによく出てくる豊臣秀吉の側室ですね。
お母さんのお市の方と似ていて、とても美人だという話もあります。
今回、茶々(淀殿)の人物エピソードや、真田幸村との関係、秀吉との子供や年齢差などを紹介していきますよ。
茶々(淀殿)、プロフィール
本名:浅井茶々(あざいちゃちゃ)
誕生:1569年
死没:1615年6月4日
享年:46歳
時代:室町時代(戦国時代)-安土桃山時代-江戸時代初期秀吉の側室
茶々ってどんな人?
茶々ってどんな人だったの?ってことですよね。
ここでは彼女のエピソードや人物像、経歴を紹介していきますよ。
1,茶々ってどんな人?
茶々はどういう人かひとことで言いますと、権力者に翻弄された波乱万丈な人生を送った人物です。
まず母は、信長の妹・お市の方ですね。父は、浅井長政。
どっちも有名人ですよね。(・∀・)
つまり茶々は信長の姪っ子なのです。
それでいて、秀吉の側室です。
この時点で周りが超豪華ですよね。(・∀・)
ご両親や周囲の人物については、こちらの記事でカンタンにわかり易く紹介しています。
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2,名前はどれが本名?
茶々の名前ですが、いろいろ呼ばれていますよね。
茶々、淀殿、菊子とも呼ばれますが、それぞれどういう由来なのでしょうか。
茶々は本名です。これが生まれと育ちはこの茶々ですね。
淀殿は、これは茶々が秀吉との子供を生む時、秀吉から山城国淀城をもらい、産所としたのですね。
それから茶々は「淀殿」と呼ばれるようになります。
菊子は、朝廷からもらった名前です。
正式な場では、「菊子」と名乗っていたのですが、本名ではありません。
3,めっちゃ美人だった?
茶々は当時めっちゃ美人だったと語られています。
これはもちろん、写真画像は存在していないですね。
美人と言われる由来は、茶々は「戦国一の美女」と言われた、お市の方の娘だからでしょうか。
お市の方の娘の、浅井三姉妹(茶々、初、江)の中でも、茶々が一番お母さんの面影があると言われています。
それゆえにお市の方が大好きだった秀吉は、茶々を側室にしたというのが通説になっていますからね。
こちらの記事で「戦国一の美女」お市の方について、カンタンにわかり易く紹介しています。
>>>お市の方を5分で知る!娘の三姉妹や辞世の句の意味について
4,波乱万丈の人生?
茶々も権力者たちに振り回され、大変な思いをしてきました。
母・お市の方は、同盟のために浅井長政に嫁ぎます。
そこで茶々たちは生まれますから、茶々はもっぱら浅井家です。
しかし、織田と浅井が決裂した時に「小谷城の戦い」になり、浅井長政が敗れ討ち取られ、茶々たちは、織田に保護される悲劇が生まれます。
でも信長は、茶々たちは姪っ子にあたる親戚。身内にあずけ、手厚く面倒を見ていたようです。
信長もおじ様として、とにかく美味しいものや綺麗なものを、お市の方や茶々たちに買い与え、甘やかしたといわれています。
で、信長が「本能寺の変」で死んだ後、柴田勝家と母・お市の方の再婚が決まります。柴田勝家がお市の方にべたぼれだったとか。
しかし、秀吉が柴田勝家を攻め、勝家を自害に追い込みます。
勝家は、お市の方と茶々たちを逃がそうとしますが、お市の方は勝家と共に自害します。
茶々たちは秀吉に身柄を預かられ、茶々は秀吉の側室になっています。
その後、茶々は豊臣家の滅亡とともに死んだとされています。
決して穏やかな人生とは言えない、波乱万丈な人生だったのですね。
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真田幸村との関係は?
大河ドラマなどでは、茶々との絡みが多い真田幸村。
でも、現実は茶々と幸村は、そう関わりがなかったといわれています。
何故かと言いますと、幸村は二男です。
家督を継ぐのは、長男・信之です。
幸村の身分ではおそらく、茶々とは親しく話すことはできなかったでしょう。茶々は信長の姪ですから、小さな大名でしかなかった真田昌幸の二男とでは立場が違います。
幸村のことは過大評価されていまして、彼が活躍するのは関ヶ原以降なのです。
もっとも、茶々と秀頼が最後の時を迎える大阪冬の陣、夏の陣では徳川家康を討ち取るかと思われた武勇が味方の目にとどまっています。
豊臣に最期まで殉じた武将のひとりではあります。
ちゃんと絡んだのは、大阪夏の陣で、「殿(秀頼)にも出陣するように」と幸村が言ったのを、茶々が却下したときくらいなのです。
秀吉との年齢差、子供について
秀吉と茶々の年齢差。かなり差があるんですね。
秀吉は1537年生まれという説が有力。茶々は1569年ですから、32歳差だといえます。
誰ですか、いまロ◯コンとか言ったお人は。。。(・∀・)
当時の感覚ではこれぐらいはふつうです。ごくふつう。
ちなみに、真田幸村と正室の竹林院も30歳以上離れていたといいます。
で、茶々と秀吉の間には二人、男子が生まれました。
鶴松と秀頼です。
鶴松は誕生の2年後に亡くなっています。
秀頼は後に跡継ぎになっていますね。
また、秀頼は気弱で軟弱という印象がありますが、実は大柄で異言があり、家康があった時、脅威を感じたという話があります。
まとめ
ここまで波乱万丈の経験をした女性は茶々以外にはいなかったでしょう。
ゲームなどでは、何とか権力を保とうとするヒステリックな毒女、秀頼を何とか押し上げようとする母親の像が強く描かれていますが、彼女自身はどうしようもないことで振り回された人生でもあったのです。
ということで、茶々についてカンタンに語るには、
・親族がめっちゃ豪華(織田、豊臣、浅井、柴田)
・波乱万丈の人生だった
・お母さんに似て、美人だった
最後まで読んでいただきありがとうございます^^