近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)といえば、インパクトのある名前で、名前だけでも聞いたことがあるでしょう。
歌舞伎や浄瑠璃(じょうるり)を演じるのではなく、その脚本家なので詳しく知らないという方が多いと思います。
今回、近松門左衛門のかんたんな経歴、有名な代表作品、お墓や子孫について、紹介していきますよ。
近松門左衛門、プロフィール
近松門左衛門(ちかまつ もんざえもん)
出生地 越前国(福井県)
生誕 1653年
死没 1725年1月6日
享年 72歳
時代 江戸時代
かんたんな経歴、何した人?どんな人?
越前の国(現在の福井県)で武士の子どもとして生まれました。
青年期には京都で公家に仕え暮らし、その頃に知識や教養を蓄えました。
その後、宇治嘉太夫の元で浄瑠璃(じょうるり・簡単にいうと人形劇)を書くようになり、1675年には、人形芝居の一座を立ち上げました。
22歳で一座を立ち上げるなんて、現代では若手青年実業家ですね。
1686年には「佐々木大鑑」で初めて作者として名前を出しました。
この時期では、浄瑠璃の作者の名前を出すことがあまりなく、作者名がない浄瑠璃も珍しくありません。
1693年には歌舞伎の狂言作者となり歌舞伎の趣向を10年ほど学びました。
1703年に代表作「曽根崎心中」を上演し。浄瑠璃の作者としての人気を不動のものとしました。
死の間際まで「関八州繋馬」を書いていましたが、完成することなく72歳でこの世を去りました。
有名な代表作品は?
近松門左衛門は、100作以上の作品を書き、江戸時代初期の人形浄瑠璃を発展させました。
有名な代表作は、歴史の教科書にも載っている浄瑠璃の「曽根崎心中」ではないでしょうか。
この作品の内容は、大阪で女郎と手代(地方の役人)の無理心中です。
この作品以前までは、歴史を題材にした歴史ものが中心となって上映されていましたが、この曽根崎心中によって俗世間ものである「世話物」も人気となりました。
その他、代表作は世話物で、「冥途の飛脚」です。
商家の養子が遊女を身請け(身代金を払い仕事を辞めさせること)するために、大名に届けるはずの300両を使ってしまい大問題になる話です。
あとは代表作として、「出世景清」「国性爺合戦」「心中天網島」などがあります。
お墓は残ってる?子孫は?
近松門左衛門のお墓は残っているのでしょうか。
お墓はもともと、大阪市にある法妙寺の境内にありました。
しかし法妙寺は大東市(大阪)に移転してしまい、近松門左衛門のお墓だけが跡地に残りました。
ここでおかしなことに大東市に移転した法妙寺にも近松門左衛門のお墓があり、さらには兵庫県も広済寺にもお墓があります。
私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません状態ですね。
子孫ですが、近松門左衛門の子孫は、現代で9代目となる近松洋男さんがいらっしゃいます。
彼は「口伝解禁・近松門左衛門の真実」という書籍を出版するなど子孫として精力的に活動しています。
まとめ
江戸時代の浄瑠璃の大人気作家の近松門左衛門。
彼が得意としていた世話物は心中を内容としたものが多く、この浄瑠璃を見た人が真似をして心中をしてしまうので幕府によって上映を禁止された、という話もあります。
そこまで影響力がある浄瑠璃を書いてしまうなんて、現代に生きていたら大人気ベストセラー作家で間違いないですね。
ということで、
近松門左衛門を5分で!有名な代表作品、お墓や子孫は?でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます^^