江戸時代

徳川家光を5分で!吃音症だった?女装趣味で男大好き、ゲイだった?

徳川家光(とくがわいえみつ)といえば、江戸幕府の第3代目将軍ですね。

今回、徳川家光のかんたんな経歴吃音症だった?について女装趣味で男大好きのゲイだった?について紹介していきますよ。

 

徳川家光、プロフィール

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徳川家光(とくがわ いえみつ)
出生地 東京
生誕 1604年8月12日
死没 1651年6月8日
享年 48歳
時代 江戸時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

戸幕府の二代目将軍・徳川秀忠の次男として生まれました。

あの春日局(かすがのつぼね)が乳母となるなどすぐに将軍家の英才教育を受けました。

 

長男の長丸は早くに亡くなっていたので、周りを有能な武士で囲まれ父親から政権を譲渡されてからも二人三脚で政治を行って幕府を治めていました。

父親である徳川秀忠が亡くなった後は、「武家諸法度」を改定し、全国の大名に反旗を翻されないように参勤交代を義務付けました。

 

貿易を行うことによって、利益が独占されることやキリシタンが一揆を起こすことを恐れた家光は、鎖国令を発布します。

長崎の出島のみ貿易が許されてその他の貿易は禁止されたのです。

徳川家康の時代からあった朱印船貿易もこの時に終わりを迎えています。

1650年に病気となって、徳川家綱に政治を任せ、翌年亡くなるまで江戸幕府の基盤を安定させたのです。

 

ころで、家光の乳母となった春日局(かすがのつぼね)は、あの大奥をつくったりと、日本史を語るうえでは外せない凄い人ですよね。

こちらの記事で春日局について、かんたんにわかり易く紹介しています。

>>>春日局を5分で知る!徳川の血筋の謎って?

 




吃音症だったって?

光は、小さなころ吃音症だったと言われています。

吃音症とは言葉がスラスラとしゃべることが出来ず「どもる」ことです。

小さい頃から病弱なのに将軍家の英才教育を受け過度なプレッシャーをかけられたからでしょうか。

 

家光は、病弱で顔が整っていなかったので、秀忠が弟である国松に将軍職を継がせようとして家康に「長幼の序(年齢が上の方が偉い!)を大切にしろ!」と怒られるほどでした。

こんなプレッシャーをかけられたら、そりゃ言葉もどもりますね。

 




女装が趣味?男大好きのゲイだった?

川家光は、女装が趣味で男が大好きだったといわれています。

能などの観劇で化粧をしたくなり女装することを覚えてしまったのでしょうか?

それとも乳母である春日局を見て「自分もあのように有能になりたい」と思い屈折して女装をし始めたのか…。

 

戦国時代では同性愛は普通で、いわゆるゲイ的な行為もふつうにされていました。

織田信長と小姓の森蘭丸も有名ですね。

 

かし、女性に全く興味がないというのは大問題です。

男の子(世継ぎ)が生まれないと徳川家も自分も一大事だと思った乳母である春日局(かすがのつぼね)は、家光が好きそうな女性を集めた、あの「大奥」を作るのです。

こちらの記事で春日局について、かんたんにわかり易く紹介しています。

>>>春日局を5分で知る!徳川の血筋の謎って?

 

 

まとめ

幼い頃からの将軍教育でプレッシャーに押しつぶされそうだった家光を救ったのは女装趣味だったのかもしれません。

そんな家光も幕府の安定のためにさまざまな政治を行っていました。

この政治によって江戸時代が長く続いたのです。

家康が長幼の序を取り決め家光が二代目将軍秀忠の後継者になった結果でしょうね。

 

ということで、
徳川家光を5分で!吃音症だった?女装趣味で男大好き、ゲイだった?でした。

 

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りょーま(管理人)
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