つい先日、日本政府によって紙幣の刷新が正式に発表されました。
その発表によれば、新一万円札に描かれる肖像はこれまでの福沢諭吉と変わって、渋沢栄一という人物の肖像が検討されているとのことです。
渋沢栄一は日本の資本主義制度確立への貢献度が非常に高く「日本資本主義の父」として高く評価されています。
しかし、筆者の周囲では意外と「渋沢栄一って誰?」という声を耳にします。
実際、小学校や中学校の社会科ではその名前が登場せず、教科書に姿を見せるのは高校の日本史選択者向けのものに限られています。
そこで、この記事では渋沢がどのようなことを成し遂げたのかという点に着目し、彼の生涯と紙幣に描かれる理由について考えていきます。
政治家としては大蔵省で活躍した
天保11年(1840)に豪農の息子として生まれた渋沢は、若年期には討幕を志すほど血気盛んな青年でした。
しかし、生まれ故郷である埼玉を離れ京都へ向かうと一橋慶喜(徳川慶喜)に見出され、討幕どころか幕臣としてその才覚を発揮していきました。
渋沢は慶喜に仕える傍ら、海外にも積極的に留学しています。
こうした海外への渡航経験が、後々に日本が資本主義国家へと成長していく過程で大きく生きることになります。
帰国後の渋沢は明治維新に際して日本の新しい政治体制を支えるべく大蔵省に出仕し、慶喜のもとで鍛えられた財政面の知識と留学の経験を生かして活躍を見せます。
大蔵省では、国立銀行条例の制定などに活躍しました。
しかし、渋沢がその本領を発揮するのは明治6年(1873)に大蔵省を辞め、民間人となってからのことです。
実業家として約500ともいわれる企業の育成に関わる
大蔵省在籍中から「商法会所(現在でいうところの国債発行所)」を設立するなどしていた渋沢は、職を辞した後に第一国立銀行の総監役を務めることで実業家としての道を歩み始めました。
実業家としての渋沢は「道徳経済合一説」を説き、資本主義が陥りがちな資本の絶対視といった課題に警鐘を鳴らし続けました。
こうして渋沢が第一国立銀行を拠点に設立・支援した企業は約500ともいわれ、現代の日本を支える有名企業を次々と育成しました。
例えば、既出の第一国立銀行は後に一般銀行である第一銀行へと改称され、数度の組織改編を経て昭和46年(1971)まで存続していました。
そして、この年に日本勧業銀行と合併したことで第一勧業銀行となり、この銀行は現在のみずほ銀行へと繋がります。
その他にも、東京株式取引所(現在の東京証券取引所)、王子製紙、大阪紡績会社(現在の東洋紡)など、現代でもその名を残す有力組織や株式会社を育成した実績があります。
これらの実績は現代でも高く評価され、渋沢は「日本資本主義の父」としてその名が知られているのです。
実際、戦前の日本経済を支えていたのは渋沢が携わった企業であったと言っても過言ではなく、その名にふさわしい活躍を見せていたという評価は2019年現在も変わることはありません。
社会事業にも惜しみない貢献を果たし、約600の事業を支援した
大正4年(1916)に実業界を引退した渋沢は、自身が説いた「道徳経済合一説」を実行に移し、教育機関や社会事業へ惜しみない支援を行いました。
渋沢が支援した事業は、約600にものぼるとされています。
渋沢が携わった社会事業は分野も多岐に渡るものでしたが、代表的なところでは東京商科大学(現在の一橋大学)、日本赤十字社、明治神宮奉賛会、帝国劇場への支援などが挙げられるでしょう。
ここに挙げた以外にも現代に繋がるさまざまな社会貢献活動を実施しており、実業家として得た利益を惜しみなく社会に還元するという資本家の理想的な振る舞いをしていたといえます。
また、民間の立場から民間外交にも貢献し、民間人の立場からアメリカやロシアとも積極的な交流を図りました。
さらに、関東大震災に襲われた際には寄付金集めに奔走し、中国で水害が発生した際には先頭に立って義援金の募集を開始しました。
このように計り知れない社会貢献を果たした渋沢は、戦前にノーベル平和賞の候補にも選出されているなど、日本だけでなく国際社会でも高く評価された人物でした。
まとめ
ここまで見てきたように、渋沢栄一という人物は日本社会全体に多大なる貢献をしていることが分かります。
それゆえに、紙幣刷新に際して渋沢が候補として検討されているのは至極真っ当な結論といえるでしょう。
では、具体的にどの要素が紙幣に描かれる決め手になったかというと、筆者としては社会貢献の面が大きいのではないかと考えています。
その理由としては、数多く存在する日本に大きな影響を与えた資本家の中に渋沢よりも実業家としては多くの富を生み出している人物はいても、渋沢よりも社会貢献に熱心だった人物はいないと考えられるからです。
「日本資本主義の父」という知識から、渋沢を格差の象徴である資本家が紙幣に描かれることへの批判も全くないわけではありません。
しかし、金の亡者どころか社会をより良くするために多大な貢献を果たした渋沢の事業を知っていただけたら幸いです。
(筆者・とーじん)
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