源義経(みなもとのよしつね)といえば、兄に源頼朝(みなもとのよりとも)がいますね。
ふたりは協力して、平氏を倒しますが、その後対立しています。
今回、源義経の簡単な経歴、弁慶と牛若丸の伝説、チンギス・ハーン説の逸話について紹介していきますよ。
源義経、プロフィール
源義経(みなもとのよしつね)
出身地:京(京都市)
生誕:1159年
死没:1189年4月30日
享年:31歳(自殺)
時代:平安時代
源義経って何した人?どんな人?
源義経(みなもとのよしつね)は、兄の頼朝(よりとも)といっしょに平氏をほろぼします。
超大活躍した義経ですが、兄の頼朝(よりとも)とケンカし追放され、最後は自害します。
ここでは大人気の武将・源義経の経歴を簡単に紹介していきます。
源義経の生涯、簡単な経歴
源義経は9男で、父に源義朝(みなもとのよしとも)。兄に源頼朝(3男)がいます。
父が「平治の乱」で戦に敗れて死んだとき、義経はまだ2歳でした。
大人になるまで、兄の頼朝とは顔を合わせたことがなかったといいます。
義経はお寺(京都)にあずけられます。
やがて義経は、自分の母(超美人)が命と引きかえに、父を負かした平清盛の愛人にさせられたことを知ります。
「いつか必ず平氏をほろぼす。」
義経は強く心に誓い、明けても暮れても訓練を続けました。
16歳で寺をぬけ出すと、京都から奥州の平泉(岩手県)に行き、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)のもとですごしました。
1180年、いよいよ兄の頼朝が平氏を倒すために戦いをはじめると、22歳の義経は頼朝のもとへかけつけました。
そして義経は、兄の頼朝から軍の指揮を任されて勝利。大活躍するのです。
一の谷(いちのたに・兵庫県)では、崖をかけおりるという不意をつく戦法で平氏に勝利。名言「崖を鹿が通るなら、馬も通る」は有名です。
屋島(やしま・香川県)では、嵐の中で平氏軍の背後に回り、油断しているところをおそって勝利します。
そして壇の浦(だんのうら・山口県)へと追いつめた平氏を、ついにほろぼしたのです。
兄の源頼朝については、こちらの記事で簡単にわかり易く紹介しています。
義経の悲劇は?
義経の活躍はすさまじいものでした。まさに快進撃。ヒーロー、英雄です。
しかしその裏側で、悲しみが待ちうけます。
兄・頼朝は兄弟であっても、義経を他の家臣と同じように扱います。
でも義経は、「兄の家来は、おれの家来」のような振るまいをしたり、当時は名乗って戦を開くのが礼儀だった武士の世界で、奇襲ばかりで勝つなど、型破りなことをします。
そこで梶原景時(かじわら かげとき)という人物が悪口を頼朝に吹き込みます。
さまざまなことが重なって、兄の頼朝は「鎌倉に戻れば死が待つ、腰越という手前の場所より先は近づくな」という指示を義経に出します。
決定打は、後白河法皇(ごしらかわほうおう)から勝手に冠位、貴族の身分をもらったことでした。
何故冠位をもらってはいけないのかというと、義経はあくまで頼朝の部下です。
冠位をもらうということは、後白河法皇の家臣になるということです。
部下が親分に忠誠していないことなのです。
実は後白河法皇は、頼朝を快く思っていなかったので、義経をとりこみ兄弟仲を裂こうとしていたのです。
でも義経は兄・頼朝が好きなので、腰越状(こしごえじょう)という兄への忠誠を誓う思いをつづった手紙を送ります。
でも聞き入られず、捕えられそうになったことで、青年時代にお世話になった、平泉の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)を頼ります。
しかし、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の子・泰衡(やすひら)は義経がいると自分が危ないと、頼朝にビビりました。
子・泰衡(やすひら)は、父・秀衡(ひでひら)の死後、義経がいた場所を襲います。
追いつめられた義経と妻子は自害したのです。
兄に愛されたくてでも上手くいかない姿は英雄からは遠いものです。
チンギス・ハーン説について
源義経がチンギス・ハーンだという説が逸話としてあります。
実はこれは有名な説です。いや、都市伝説ですね。
義経は死んでいないで生き延び、チンギス・ハーンとして生きたというもの。
チンギス・ハーンは、モンゴル帝国の創建者で、最初の皇帝ですね。
でもこれは珍説で、デタラメと言っていいでしょう。
まず義経のばあい、ちゃんとお墓が神奈川県の藤沢にあるのです。
首を頼朝が確認しています。
流石に自分の兄弟の顔ぐらいわかるはずです。
現代の義経マニアの、「義経に生きていてほしい!」という願いゆえの珍説と言えるでしょう。
弁慶と牛若丸の伝説について
源義経の幼名は、牛若丸です。
そう、あの有名な「弁慶と牛若丸」の牛若丸なのですね。その本人です。
伝説のあらすじは、、、
京都で、弁慶という乱暴者がいました。
決闘をして、勝ったら相手から刀を奪い、1000本まであと1本でした。
いよいよ1000本目になるという日の夜、五条大橋を笛を吹きながら歩いてきたのが牛若丸でした。
弁慶は、牛若丸の腰に差さっている刀を見て、「いい刀だ。これこそ1000本目の刀にふさわしい。」と言い、牛若丸に勝負を挑みます。
しかし、牛若丸は弁慶の剣を鮮やかにかわし、返り討ちにします。
弁慶は降参し、牛若丸の家来として仕えることにしたのです。
といったもの。超有名ですね。
その牛若丸が、のちに兄と一緒に平氏をほろぼす「源義経」なのです。
義経が自害する直前も、追い詰められる義経をかばい、弁慶は義経のため立ったまま死にます。
男でも惚れてしまいますよ。
このエピソードから、義経の圧倒的な剣の強さもわかるでしょう。
まとめ
源義経とはどんな人物?牛若丸の伝説やチンギス・ハーン説についてでした。
源義経を簡単に語るポイントは、
- 兄の源頼朝といっしょに、平氏をほろぼした
- のちに兄・頼朝と対立、自害に追い込まれた
- 義経はチンギス・ハーンではない
- 「弁慶と牛若丸」の牛若丸だった!
最後まで読んでいただきありがとうございます^^