勝海舟(かつかいしゅう)といえば、西郷隆盛との話し合いで、血を流すことなく江戸城を引き渡した人ですね。
今回、剣豪でもあった勝海舟のカンタンな経歴、坂本龍馬との関係、子孫や名言、剣道の腕前について紹介していきますよ。
勝海舟、プロフィール
出身地:江戸(東京都)
生誕:1823年1月30日
死没:1899年1月19日
享年:77歳(病死)
時代:江戸時代-明治時代
1,勝海舟って何した人?どんな人?
勝海舟は、江戸の町を戦争から守った幕府の代表です。
彼は、敵の西郷隆盛と、戦争せず話し合いで江戸城を引き渡しました。
ここでは、勝海舟のカンタンな経歴、どんな人で何をした人なのかを紹介していきます。
勝海舟、かんたんな経歴
勝海舟は、幕府の家臣の子で、江戸で生まれました。
海舟が31歳のとき、アメリカからペリーがきて、「鎖国なんてやめて貿易しようぜ!」と、言い出しました。
アメリカは日本を植民地にしようとしていたのです。
幕府の老中(幕府の最高職)の阿部正弘(あべまさひろ)は、どうするべきか、偉い人からも偉くない人からも、広く意見を集めました。
そこで海舟は、外国から日本を守るために意見を書いて出し、阿部正弘に認められました。
海舟が海軍について勉強していた時期、日本とアメリカが貿易をおこなうための、「日米修好通商条約」を結ぶため、「使節団(しせつだん)」が、アメリカに行くことになりました。。
「使節団」とは、国の代表として外国を訪れる団体です。
海舟は、使節団を守る軍艦・咸臨丸(かんりんまる)の船長に指名されます。
日本に帰ってきた海舟は、「軍艦奉行」に任命されます。海軍づくりに力をつくしながら、坂本龍馬らと、今後の日本について、将来を語り合いました。
「軍艦奉行」とは、海軍を統括する役職です。
15代将軍・徳川慶喜が、「大政奉還」で、政権を幕府から朝廷に返した後、旧幕府軍と新政府軍は戦争をはじめます。
この戦争に勝った新政府軍は、江戸にも迫ってきました。
旧幕府軍の代表となった海舟は、新政府軍と仲直りする役目を任されました。
海舟は、「もし江戸で戦が起これば、庶民らが苦しむ」と考え、戦をする気マンマンの新政府軍・西郷隆盛と話し合いをすることにしました。
海舟の必死の説得により、江戸城への攻撃はなくなりました。
そして戦による死者を出すことなく、江戸城が引き渡されました。
勝海舟は、江戸の町を戦争から守ったのです。
2,福沢諭吉と仲がわるい?
勝海舟は、福沢諭吉と仲が悪かったという話があります。
海舟が船長をした軍艦・咸臨丸(かんりんまる)に、福沢諭吉も乗っていたのです。
このとき海舟は、船酔いがヤバくて、部屋から一歩もでれなかったのです。
その態度に福沢諭吉は、怒り、腹を立てます。
それからは、日本に帰ってからも海舟と諭吉は仲が悪かったといいます。
けっこう有名な話なのです。
正直、海舟は、船酔いで何の役にも立たなかった船長のイメージが強いようです。
それでいて、アメリカのサンフランシスコに着いたら、バリバリに船長面で威張っていたのだそうですよ。
こちらの記事で、福沢諭吉について、カンタンにわかり易く紹介しています。
3,坂本龍馬との関係は?
勝海舟と坂本龍馬との関係について。
海舟がつくった海軍学校に、龍馬がいました。
海舟は龍馬にとって先生です。師弟関係なのです。
龍馬は、幕府から紹介状を通して、海舟のもとへ訪れます。
その時、海舟は、「世界の様子、海軍の必要性」を話しました。
龍馬は感服し、その場で弟子になりました。
龍馬は心の底から海舟を尊敬していました。
龍馬の姉・坂本乙女(さかもとおとめ)に書いた手紙にも、海舟のことを「日本第一の人物」と書いています。
また、弟子として、海舟の「海軍操練所」を開くために、海舟の手足となって働き、それを自慢しています。
海舟も龍馬のことを、とても可愛がっていました。
現在の日本の、外国との交流は、勝海舟と坂本龍馬なしではありえなかったと言われています。
こちらの記事で、坂本龍馬について、カンタンにわかり易く紹介しています。
4,めっちゃ女好きだった?
勝海舟は、めっちゃ女好きだった事で有名です。
妻と、数人の愛人と一緒に暮らしていたのだそう。
愛人は4,5人ほどいたそうで、彼の子を妊娠した女性は、8人以上いるとのこと。
相当なヤ◯チンですね。(・∀・)
「英雄、色を好む」なんて言いますが、本当ですね。
あの豊臣秀吉なんて、側室が20人いたりしましたからね。(・∀・)
5,犬が超キライだった!
勝海舟は犬が大嫌いだったそう。
なんでも小さい頃に、犬にキン◯マを噛まれて死にかけたことがあるらしいですよ。(・∀・)
6,剣術も凄かった?流派は?
勝海舟は剣術も凄かったようです。
流派は、直心影流剣術(じきしんかげりゅうけんじゅつ)。
免許皆伝です。
この流派は、初太刀、最初の一撃を決めれば相手を倒せるという方法です。
猿叫(猿の絶叫)といって声で、「キェーイ!」と威嚇するのも特徴です。
こちらが勝海舟の刀です。
画像・水心子正秀(すいしんし まさひで)
この刀は、水心子正秀(すいしんし まさひで)といい、勝海舟の刀として有名です。
しっかり反りがある、実戦向きの刀です。
江戸時代はあまりに平和過ぎたので、多くの武士が剣術を忘れていました。
勝海舟は人を斬ることは好まなかったようです。
7,子孫は続いてる?
勝海舟の子孫について。
彼の子孫は続いています。
姓は変わっていますが、高山みな子さん。
コチラの方。
画像・高山みな子さん。
高山みな子さんは、ガラス工芸の作家です。
あと有名なのは、バイクの「カワサキ」。
川崎重工業に吸収された、目黒製作所の創設者が、勝精(かつ くわし)という人物で、こちらが勝海舟の子孫です。
つまり、勝海舟の子孫が、今の「カワサキ」のバイクの起源なのです。
8,名言がかっこいい!
勝海舟の名言。
彼は多くの名言を残しています。
勝海舟の有名な名言は、
「敵は多ければ多いほど面白い」
「世の中に無神経ほど強いものはない」
「行いは俺のもの、批判は他人のもの。俺は知ったこっちゃない」
同僚に嫌われていた彼らしい言葉です。
なんとも剛胆で、男らしい人だったということがわかります。
偉くなる人というのは、だいたい無神経ですよね。(・∀・)
まとめ
勝海舟を5分で!坂本龍馬との関係や子孫、名言、剣道の腕前についてでした。
勝海舟について、かんたんに語るポイントは、
・江戸の町を戦争から守った!
・軍艦・咸臨丸(かんりんまる)の船長!
・めっちゃ女好き!
・幕末の偉人たちと交流が多い!(坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、吉田松陰などなど)
こんな感じでどうでしょう。(・∀・)