飛鳥時代

持統天皇とはどんな人物?エピソードや和歌の意味、天武天皇との関係って?

持統天皇(じとうてんのう)といえば、女性の天皇ですね。

女性は天皇になれないとかやっている昨今ですが、当時はまだ有りでした。

「春過ぎて…~」の和歌は、百人一首でも歌われてとても有名です。

今回、持統天皇とはどんな人物だったのか天武天皇との関係和歌の意味を紹介していきますよ。

 

持統天皇、プロフィール

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持統天皇(じとうてんのう)
名前:野讚良(うののさらら)

出身地:大和(現在の奈良県)
生誕:645年
死没:703年1月13日
享年:57歳
時代:飛鳥時代

天武天皇の妻
天智天皇(中大兄皇子)の娘

 

持統天皇って何した人?どんな人?

持統天皇の父は天智天皇(中大兄皇子)、夫は天武天皇です。持統天皇はもろに皇族の家系ですね。

夫・天武天皇の死んだ後、夫の理想を実現するため、天皇になりました。

日本で最初の大規模な都である「藤原京」をつくったお人です。

持統天皇の経歴を簡単に紹介していきますよ。

 

天智天皇、天武天皇についてはこちら↓↓

 

かんたんな経歴

統天皇は、大海人皇子(のちの天武天皇)の妻です。

「壬申の乱」では、夫の相談相手になるなど、大友皇子軍との戦いの勝利に貢献しました。

そして、天皇の位についた夫を、かげで支え続けたといいます。

 

天武天皇の死後は、夫の理想を実現するため、持統天皇として位につき、政治を行いました。

持統天皇は、日本ではじめての本格的な都である「藤原京」(奈良県)をつくります。

 

藤原京は、周囲は約4kmあり、高さ約5mの壁で囲まれ、道路はまるで碁盤の目のように整えられていました。

学校の教科書や資料集などでも、みたことがあるのではないでしょうか。

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この藤原京は、もともと夫の天武天皇の理想だったらしく、それを妻の持統天皇が引き継いだのだといいます。

 

 

統天皇は、有名な女性天皇です。

今の皇室は男性優位の継承ですが、昔は、どうしても即位できる人がいない場合は、妻のうち最も身分が高い人を天皇に立てたのです。

推古天皇や、皇極天皇なども女性ですね。持統天皇は、その中のひとりで、天武天皇の妻だった人です。

 

彼女はただのピンチヒッターではなく、政治に積極的でした。

持統天皇がしたことは、「法律を決めた」、「藤原京を作った」、「戸籍を作って税収があがるようした」などがあります。

また、新羅(しらぎ)という朝鮮半島の国との関係も重視していました。




天武天皇との関係って?

統天皇と天武天皇との関係について。

このふたりは、ちょっとだけ関係が複雑です。

 

まず、ふたりは夫婦でしたね。

そして、叔父と姪っ子の関係でもあるのです。

持統天皇は、中大兄皇子(天智天皇)の娘です。

夫の天武天皇は、中大兄皇子(天智天皇)の弟です。

つまり、持統天皇は叔父に嫁いだのです。13歳の時です。

当時の皇族は無駄に皇族を増やさないためにも親戚同士で結婚するという事が普通でした。

 

っと家庭環境をみてみましょう。

実は持統天皇の、母方のおじい様を殺したのが中大兄皇子(天智天皇)です。

持統天皇は、中大兄皇子と遠智娘(おちのいらつめ)という女性の子です。

 

遠智娘(おちのいらつめ)の父、つまりおじい様は、蘇我倉持石川麻呂(そがのくらやまだ の いしかわまろ)という人。

蘇我という名前は聞いたことがあるでしょう。

そう、中大兄皇子に滅ぼされた蘇我蝦夷(そがのえみし)、蘇我入鹿(そがのいるか)の一族です。

おじい様は、中大兄皇子の味方について、手助けをしました。

しかし、中大兄皇子は用心深い人ですので、おじい様を謀反の疑いで殺します。

色んな名前がでてきて、ちょっとややこしくなってしまいましたね。(・∀・)

 

蘇我入鹿(そがのいるか)や、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)について、こちらの記事でカンタンにわかり易く紹介しています。




女性が天皇になれないのはなぜ?

女性が天皇になれないとされていて、問題になっている昨今ですが、それはなぜなのでしょうか。

実はこれまでの126代続いている天皇の中に、女性は8人います。

なのになんて今は女性はなれないとかやってるの?って事ですよね。

これは理由の一つとして、昭和22年(1947年)に、皇室典範(天皇と皇族に関する事項を規定している根本法)の1条で「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する。」と定められたからと言えるでしょう。

こちらの他サイト様が非常にわかり易かったので、紹介させていただきます。

>>>女性が天皇になれないのはなぜ?女系と女性の違いとは?過去の歴代女性天皇 – 日本文化研究ブログ

 

百人一首「春過ぎて…」の意味、大意は?

統天皇の有名な歌がありますね。

春過ぎて 夏きにけらし しろたへの 衣ほすてふ 天の香具山

風流ですね。

これはとても有名で、百人一首にもなっていますね。

でもこれ、どういう意味なのでしょうか。

 

現代っぽく、持統天皇になりきって解説すると、

「ああ、いつのまにか春が過ぎて、夏がきたのですね。

夏用の真っ白な衣がいっせいに、天の香具山に干されるのだから」

といった具合でしょうか。

 

ょっと情景を想像してみましょう。

天の香具山は奈良のなだらかな山です。

そこの若葉が萌え出る山頂に、夏用の真っ白な衣がいっせいに干される。

香具山の山頂に、たくさんのまっしろな衣が干されている。春が過ぎ去って夏が来ているらしいなあと言ったところです。

なんとも爽快。涼やかな歌ですよね。

まとめ

ということで、
持統天皇とはどんな人物?エピソードや和歌の意味、天武天皇との関係って?でした。

持統天皇を簡単に語るポイントは、

  • 持統天皇は夫・天武天皇に尽くし、夫の死んだ後も夫の理想に尽くした
  • 日本で最初の大規模な都、「藤原京」をつくった
  • 百人一首「春過ぎて…」がとても有名

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

 

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