藤原道長(ふじわらのみちなが)といえば、やたらと有名な名前ですね。教科書に必ずでてきます。
藤原道長は天皇に仕えた貴族で「この世は私のものだ」と句を詠んじゃうくらい政を仕切っていました。
今回、藤原道長のかんたんな経歴、「この世をば~」の意味、摂関政治ってなに?について、紹介していきますよ。
藤原道長、プロフィール
藤原道長(ふじわら の みちなが)
出生地 京都
生誕 966年
死没 1028年1月3日
享年 62歳
時代 平安時代
かんたんな経歴、何した人?どんな人?
藤原兼家の五男として生まれた藤原道長。
父は摂政(天皇の代わりに政治をする職)でした。
有能な兄が病死したのをきっかけに左大臣として政権を掌握します。
この時期の貴族は、才能だけあっても成り上がれません。藤原道長は、娘を4人も天皇に嫁がせます。
もし娘に子どもが出来てその子どもが天皇になったら自分はおじいちゃんになるわけですから摂政として強大な権力が手に入るのです。
藤原道長は、子だくさんだったのでこの技が使えたのです。
藤原道長は、長女である彰子を一条天皇の元へ入内させ、敦成親王が生まれます。
この時の藤原道長は大喜びだったと、あの有名な「紫式部日記」に書いてあるほどです。
この敦成親王が後一条天王として即位する(なんと9歳で!)と、道長はついに摂政となり権威を奮いました。
このように天皇の祖父として好き勝手していた藤原道長ですが、晩年には病(糖尿病だと言われています)を患いました。
そして自分の権威を知らしめるために法成寺を建立し62歳で亡くなりました。
詠んだ歌「この世をば…~」の意味は?
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
というのは藤原道長が祝宴で詠んだ句です。
意味は「この世は自分のためにあるようなものだ。望月(満月)のように足りないものは何もないと思えるから」という意味です。
なんとも、ごう慢で偉そうな態度をとる性格がうかがえます。
天皇に娘を嫁がせ孫が天皇となっているからこそ詠める句ですね。
この句は、藤原実資の「小右記」に記載されていています。
摂関政治ってなに?
摂関政治ってなに?ってことですね。
そもそも摂関政治とはどういったものなのでしょうか?
「摂関政治とは、摂政(せっしょう)や関白(かんぱく)が行う政治のこと」であって頭文字をとって摂関政治と言われています。
摂政は、天皇が幼かったり女性だったりした場合、代わりに政治を行う人のこと。
関白は、天皇が成人した後も代わりに政治を行う人のことです。
超有名どころだと、聖徳太子は摂政。豊臣秀吉は関白でしたね。
この摂政や関白は誰でもなれる役職ではありません。
もともと天皇の血筋をもっている人が選ばれていたのですが、藤原良房が天皇家以外で初めて摂政となってから藤原氏の摂関政治が続いたのです。
ちなみに藤原道長の父親である藤原兼家も摂政です。
まとめ
藤原道長は、内覧といって天皇よりも先に重要な書類に目を通すことが出来る資格を得ました。
この資格を持っていると摂政や関白よりも政治に強い権利があるのです。
藤原道長は、天皇に娘を嫁がせるだけではなく自分自身は内覧の権利を行使して政治に関わっていたのです。
紫式部が書いた「源氏物語」の主人公光源氏は藤原道長をモデルとしていると言われていますので、ぜひこのことを頭において読んでみてくださいね。
ということで、
藤原道長を5分で!「この世をば~」の意味、摂関政治ってなんぞや?でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます^^