アラン・ペイトンといえば、ベストセラー作家であり、活動家ですね。
黒人の少年院の院長をしていたこともあり、人種差別や人権侵害と生涯戦っていました。
今回、アラン・ペイトンのかんたんな経歴、どんな偉業がある?について、紹介していきますよ。
アラン・ペイトン、プロフィール
アラン・ペイトン
出身地:南アフリカ、ナタール州
生誕:1903年1月11日
死没:1988年4月12日
享年:85作家、活動家
かんたんな経歴、何した人どんな人?
アラン・ペイトンは、南アフリカのナタール州で生まれました。
父は公務員という事もあり、アランもよく勉強しました。
しかし、彼は小さいときから、何回も体罰を受けて育ちました。
これは当時の南アフリカでは何も珍しいことではありませんでした。
その辛い経験から、人種差別や人権侵害について深く考えるようになり、当然めっちゃ反対していました。
大学(ナタール大学)では、博士号を取得。
卒業後は、高校の先生として働いたり、大学で働いたりします。
25歳で結婚。
32歳くらいから、黒人の少年院で院長をします。
そして、人種差別の撤廃、憲法の改正を求めつづけました。
院長は13年くらい続きました。
その後、作家として活動します。
作品は20作以上残していて、映画化されているものもあります。
そうした作品でも、人権問題について描かれています。
彼の人生は、人種差別や人権、体罰をテーマとした場合、最高に偉大なものなのです。
どんな偉業がある?
凄い人だけど、具体的にはどんな偉業があるの?ってことですね。
かんたんに紹介してみます。
少年院の在り方を変えた
アランは少年院の在り方を変えました。
具体的には、
・閉鎖的だった院内をオープンにした
・少年が実はいい奴だったら、院外で働いても良いとした
・家庭訪問をした
などです。
これは革命的でした。
そして、彼が院長をしているあいだは、更生率が激上がり。
社会復帰した少年が、また悪さをして少年院にくることはほとんどなかったといいます。
作家として活躍。
作家として、20以上の作品を残しています。
中でも有名なのは、映画化された「泣け!愛する祖国よ」です。
「泣け!愛する祖国よ」は、ベストセラー小説が映画化されたもの。
南アフリカの人間対立を背景とした、ヒューマンストーリーです。
予告編はこんな感じ。
まとめ
ということで、
アラン・ペイトンってどんな人?3分で知る偉人!でした。
・少年院の院長をしていた!
・生涯、人種差別や人権問題とたたかった!
・ベストセラー作家で、作品は映画化もされている!
最後まで読んでいただきありがとうございます^^