北条政子(ほうじょうまさこ)といえば、女将軍とも呼ばれる女性ですね。
彼女はどんな人物でどんな事をしたのでしょうか。人物エピソードや、有名な演説について紹介していきますよ。
北条政子、プロフィール
北条政子(ほうじょうまさこ)
出身地:伊豆(静岡県)
生誕:1157年
死没:1225年8月16日
享年:69歳
時代:平安時代-鎌倉時代源頼朝の正室
北条時政の長女
北条政子って何した人?どんな人?
北条政子は、夫・源頼朝の死後も鎌倉幕府をまとめ、承久の乱を勝利に導きました。
めっちゃ有能な女将軍として有名ですね。
北条政子の経歴を簡単に紹介していきますよ。
北条政子の経歴
北条政子は、伊豆(静岡県)の豪族・北条時政の娘に生まれました。
夫になる源頼朝との出会いですが、父・時政が源頼朝の見張り役についたときに出会ったとされています。
出会った後、二人は恋仲になってしまいます。
周りの反対を押し切り、源頼朝と結婚します。
政子は相談相手として頼朝を支え、鎌倉幕府をつくるのに貢献しました。
頼朝が死ぬと出家し、政子自身が「尼将軍」として、幕府のかじをとるようになります。
しかし、政子の長男の頼家(よりいえ)は2代将軍となるが殺され、次男の3代将軍・実朝(さねとも)も殺されました。
頼朝の血筋が絶えたことを知った後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)は、幕府をほろぼせるとみて、幕府に戦いをいどんできました。
政子は、朝廷の敵にされてあわてふためく御家人(鎌倉幕府に仕える武士)たちを集めると、「頼朝公の恩は山よりも高く、海よりも深い」と演説を行い、奮い立たせます。この演説は有名ですね。
感動した御家人たちは涙を流し、朝廷と戦うことを決意。
こうして幕府軍は朝廷軍に勝利したのです。この戦いを「承久の乱」といいます。
つまり、北条政子の人生は、
・源頼朝と結婚し、鎌倉幕府をつくるのに貢献した
・夫・頼朝の死後、幕府をしきり、「承久の乱」に勝利した
パワフルな女性だったのでした。(・∀・)
源頼朝については、こちらの記事で簡単に分かり易く紹介しています。
>>>源頼朝とはどんな人物?したことや死因、エピソードを簡単に紹介
最高の演説ってなに?
夫・頼朝が死んでから、「尼将軍」として幕府を引っ張っていった北条政子。
亡き夫の意志を継いで、鎌倉幕府の地盤を固めていました。
すると、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が、幕府を滅ぼそうとします。
その時の幕府は、2代将軍、3代将軍が次々と殺され、朝廷側が「今なら幕府を倒せそう!」と考えたからです。
朝廷は幕府から権力を取り戻したかったのですね。
上皇は元天皇、国家権力のトップなのです。それに逆らえば、一族への処罰がきます。
幕府の武士は、悩んでしまうのです。
そこで、北条政子は「最後の詞」と銘打って演説します。
「頼朝の恩義は、あなた方にとって海よりも深く、山よりも重いことを思い返してほしい。
そそのかすものによって今回討伐の命が出たが、これを倒して将軍(頼朝)の意を果たしなさい。
しかしながら、もし上皇方につきたいものがいたら、名乗り出るといい、好きなように上皇の元に行くといい」
とゲキを飛ばします。
これを聞いた者たちは感動し、涙を流し、再び忠誠を誓ったといいます。
幕府は存続の危機を脱します。たった一回の演説で戦況をひっくり返すのが尼将軍です。
そして見事、このいくさ(承久の乱)では、勝利しています。
これが最高の演説というやつです。
北条政子について、なにか逸話や説、エピソードは?
北条政子といえば、結構たくましく描かれていますね。
現実の北条政子も強い女性でした。エピソードを紹介していきますよ。
1,良き妻であった
頼朝は、腹ちがいの弟・義経とは、いろいろあって仲が悪かったのでした。最後には、頼朝が弟・義経を殺してしまいます。
で、義経の愛人が、義経を慕う歌を詠んだ時、頼朝は激怒し、荒れくるってしまいます。
そこで北条政子は、「私たちも許されない恋をして結ばれたではないですか」と言いつのり、まるく収めます。
これで世間の評判、義経に集まりそうな同情票を一気に頼朝の方に傾けます。頼朝の人気を支えたのです。
ほんとにできた、良き妻だったのですね。
2,心の優しい人だった?
政子は、とても気配りのできる優しい人でもあったようです。
頼朝と弟・義経は仲が悪かったですね。
その義経と、愛人の子供ができた時「女の子なら助命、男の子なら殺す」ということを頼朝は決めていました。
結果、男の子が生まれます。これはさすがの政子でも助けられませんでした。
男の子は生まれて由比ヶ浜に沈められたのです。
政子はその義経の愛人をとても気にし、沢山贈り物をしたり、何とか慰めようとしました。
3,めっちゃ嫉妬深かった?
政子は、けっこう嫉妬深い女ということで、有名なエピソードがあります。
夫・頼朝の浮気相手の女の家を壊した事があるのです。
実は、頼朝には困ったクセがあって、政子が妊娠するたびに、浮気をしていたのです。
当時は男性が本妻以外の女性と関係を持つことは珍しくありませんでした。
でも、それは頼朝がすごした関西の話で、関東では普通は一夫一妻制だったのです。
浮気された北条政子は怒って、浮気相手の家を襲撃させます。
ある風習で、夫をとられた腹いせに、本妻が相手の女の家を壊すなんて事があったようです。
政子は本当にそれを実行したのです。
たくましいですね・・・。(・∀・)
まとめ
中々ハイパーな尼将軍、北条政子、こんな気が強い女性は御免だという男性も多いでしょう。
しかし、頼朝も、政子も非常に情熱的な人で対等に大喧嘩が出来る夫婦でした。
ひとつの恋が歴史を動かしたのですね。
ということで、北条政子を簡単に語るポイントは、
- 政子は頼朝と結婚し、鎌倉幕府をつくった!
- 「尼将軍」として最高の演説をし、戦(承久の乱)で勝利した
- めっちゃ嫉妬深かった!
最後まで読んでいただきありがとうございます^^
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