明治時代

樋口一葉とはどんな人物?!お札に選ばれた理由は?有名作品や特徴は?

樋口一葉(ひぐちいちよう)といえば、5000円札の肖像の人ですよね。

端正な顔立ちで、作家として「たけくらべ」が大ヒットした明治時代の日本初の女流作家です。

今回、樋口一葉とは何をした人なのかお札に選ばれた理由は?について有名作品や特徴は?について、紹介していきますよ。

 

樋口一葉、プロフィール

名前:樋口一葉(ひぐちいちよう)
本名:樋口奈津(ひぐちなつ)
出身地:東京府内幸町(現・東京都千代田区)
生誕:1872年5月2日
死没:1896年11月23日
享年:24歳(肺結核)
時代:明治時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

1872年、樋口一葉(ひぐちいちよう)は、東京府内幸町(現・東京都千代田区)に、父・樋口則義と母・多喜の二女として生まれました。

本名は、樋口奈津(ひぐちなつ)で、一葉はペンネームです。

 

一葉が幼少の頃、父・則義は、政府役人のかたわらで、金融業や不動産業などのサイドビジネスを手掛けるリッチな家庭でした。

教育熱心な父の影響もあり、本が大好きな少女として育ちます。

 

1881年、私立青海学校の高等科第四級をトップクラスで卒業する、優れた学力を持っていました。

しかし、母・多喜は「女に学問は不要」というポリシーだったために、一葉は進学するを諦めます。

学業の道が閉ざされてしまった一葉は、日記に「悲しく辛い出来事」として残しており、相当なショックを受けていました。

 

1886年、ショックを受けている一葉をみた父・則義は、元々教育熱心だったこともあり、知人のもとで和歌を習わせたり、中島歌子の「萩の舎」に入門させます。

「萩の舎」で和歌や古典文学を学び、その学びを活かして講義ををするまでの実力をつけていきました。

そしてこの頃、法律を学びながら自由民権運動にも参加していた渋谷三郎と結婚の約束をします。

 

しかし、この結婚の約束は破断。

理由は、父の借金によって状況が一変したため。

一葉が15歳のときに兄・泉太郎が亡くなり、次いで17歳のときに父・則義が事業に失敗して多額の借金だけを残して亡くなってしまうという悲劇に襲われたのです。

また、日本の文豪・目漱石との縁談も舞い込みましたが、同じ理由で消えてしまったのです。

 

一葉は、17歳にして樋口家の大黒柱となり、母と妹の女3人の生活を支えました。

母と妹は、針仕事や洗濯をして収入を得ようとしますが、一葉は近眼を理由にあまり乗り気ではなかったのです。

元婚約者の自由民権運動や男女平等の影響を受けていたため、針仕事など女性特有の仕事には興味がなかったのです。

 

葉は、「萩の舎」に見習いとして住み込みで働きました。

そして見習いの三宅花圃が小説を書いて収入を得た話を聞くと、一葉も迷うことなく小説にチャレンジしたのです。

 

1891年、19歳の一葉は、プロの小説家としてデビューするために、大手新聞社の専属作家・半井桃水(なからい とうすい)の元で勉強をします。

そして20歳で「闇桜」を書き、念願の小説家デビューをしました。

借金の返済に追われる一葉の生活の面倒をみるほど、半井は心優しいイケメンでした。

一葉は恋心も抱くも、当時の社会では結婚前提でない男女の交際はタブーとされ、泣く泣く半井の元を去ります。

 

一葉は生活のために小説を書き発表しますが、小説だけでは食べていけずに、雑貨屋を始めます。

その後も半井は、一葉を気にかけ文学誌を手掛ける出版社の大橋乙羽(おおはし おとわ)を紹介してくれたのです。

この大橋との出会いが、女流作家・樋口一葉を生み出したのです。

 

1895年、大ヒット作「たけくらべ」が掲載されると、森鴎外(もりおうがい)から大絶賛を受け、一葉は人気作家となりました。

一葉は、その後も人気作を次々と発表しますが、結核を患い1896年11月に24歳の若さでこの世を去りました。




お札に選ばれた理由は?

在(2021年現在)の5000円札の肖像画になっている樋口一葉。

なぜお札の肖像に選ばれたのでしょうか。

これは、まず次の5000円札は女性と決まっていたのです。

そして樋口一葉が候補にあがり、彼女に決定しました。

 

ょっと紹介してみます。

1999年6月、男女共同参画社会基本法が制定されました。

この法律は、男女平等と互いの尊重を推し進め、性別にとらわれることなく能力を発揮できる社会を目指した法律です。

この法律をきっかけに、フェミニズム(性差別を廃止しようという運動)が高まりました。

樋口一葉といえば、女性の地位を向上させた人物です。

女性で、

  • 名を残した文化人
  • 学校の教科書に載っている
  • 綺麗な写真が残っている

これらの条件をクリアした人物こそが一葉だったのです。

と、いうわけで、2004年発行の5000円札から、樋口一葉の肖像画が使われています。

 

札は20年前後の間隔で新しい紙幣にかわるそうですよ。

前の5000円札の人、新渡戸稲造については、こちらの記事で簡単にわかり易く紹介しています。

>>>新渡戸稲造とはどんな人物?5000円札に選ばれた理由は?




有名作品は?作品の特徴は?

口一葉の有名作品は、

  • 吉原の遊女がテーマの「たけくらべ」
  • 貧困生活者が迎えた大晦日の「大つごもり」
  • DVが描かれた「十三夜」
  • 男女の修羅場を映し出した「にごりえ」

などがあります。

その他にも14ヶ月という短い作家人生でたくさんの作品を世に送り出しました。

 

葉は、当時小説だけでは食べて行けず、吉原の近くで雑貨屋を開き生計を立てていました。

作家とは言え、その暮らしぶりはどこにでもいる庶民と同じです。

そのどこにでもあるリアルな生活が見事に表現されていることが作品の特徴です。

そして文章が、美しく分かりやすく描かれていることから名文と評価されています。

質素であること、男女の恋愛が描かれていることが、皆に親しまれ共感されたことで一葉の人気は高まりました。

 

でもちょっと古文っぽいので現代人は、理解に苦労します。

 

まとめ

樋口一葉とはどんな人物?お札に選ばれた理由は?有名作品や特徴は?でした。

樋口一葉を簡単に語るポイントは、

  • 針仕事に乗り気ではなく小説を書こうと思った
  • 小説のテーマは、リアルな庶民の生活を描いた
  • 作家として活動した期間はたったの14ヶ月で「奇跡の14ヶ月」と呼ばれている

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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