濃姫といえば、織田信長のお嫁さまということで知られていますね。
しかし、実は濃姫についての資料はほとんど残っていないので、どんな人物なのかはけっこう推測なのですね。
その数少ないエピソードから、濃姫とはどんな人物だったのかカンタンに見ていきますよ。
濃姫、プロフィール
名前:帰蝶(きちょう)
生没年:1535?~1612?
父:斎藤道三(美濃の戦国大名)
織田信長の正室
名前の帰蝶(きちょう)ですが、これは後世の創作という見方が強いのだそう。
元々の名前ははっきりとは、分かっていないのですね。
信長の正室となり、「濃姫」と呼ばれるようになりましたが、名前の由来は「美濃の姫」だからだといわれています。
濃姫の偉業
濃姫の偉業といえば、織田信長の正式な妻であったことなのでしょうか。
特別、何かをした人というわけではないようです。
1つの説として、信長と濃姫の結婚は「政略結婚」だったと言われています。
濃姫の父・斎藤道三は、濃姫にスパイをさせるために織田家に嫁がせた。信長も「美濃の斎藤道三」の影響力を、勢力の拡大に利用しただけ。と言われています。
また、濃姫について史料はほとんど残っていないのです。元々、戦国時代の女性で史料が残っている方が珍しいのです。
濃姫という名前も、後世でつけられた名前だといいます。元の名前がはっきりわかれば、もしかしたら濃姫の歴史がわかるかもしれません。
信長と濃姫の間には子供がいないというのが“通説”です。
本当に謎多き女です。織田信長の事について詳しく書かれている「信長公記」でさえ、濃姫の死には全く触れられていないのです。
濃姫の面白い、凄いエピソード?
ここでは、濃姫についての数少ないエピソードを紹介していきますよ。
気が強い!
濃姫が織田家に嫁ぐ時、父の斎藤道三は濃姫に短刀を渡し、こう言いました。
「信長がなにか企んでいたら、この刀で刺せ」
こう言われた濃姫は、
「分かりました。けどもしかしたら、この刀であなたを刺すかもね。」
と言ったといいます。
現在でも描かれる、気が強い濃姫は、本当に気が強かったようです。
美濃の危機?
織田家に嫁いでからしばらくたった頃、信長は夜中、寝床をたびたび抜け出すようになりました。
これを不審に思った濃姫は、さりげなく信長に尋ねると、信長は、
「美濃の重臣たちが、すでに織田家に寝返っている。やつらは斎藤道三を殺し、狼煙をあげるのだそうだ。だから、夜な夜な高台で狼煙があがるのを待っているのだ。」
と、濃姫に話します。
これを聞いた濃姫は黙っていられるはずもなく、父・斎藤道三に密書を送ります。
それを信じた斎藤道三は、密書に記された名前の重臣たちを処罰したのです。
しかし、これは信長の戦略で、美濃の重臣たちが、織田家に寝返ったなどは大嘘だったのです。
信長は、自身の手を汚すことなく、斎藤家を弱体化させたのです。
信長を裏切った?
あの有名な本能寺の変の時、濃姫は信長と本能寺に宿泊していました。
そこで、明智光秀の大群が攻めてくると、濃姫はその場で突然信長を裏切り、明智勢に味方したといわれているのです。
しかし、これは、濃姫の強さを表現した創作っぽいです。
説として、
「本能寺の変の時にはすでに濃姫は他界していた」
「本能寺で信長と共に心中した」
「斎藤道三の死後、政略結婚の意味がなくなり、殺された」
などのものがありますから、やっぱり濃姫の事については、よく分かっていないのですね。
しかし、信長の妻ということからなのか、現在でも「気が強い」というイメージで描かれていますよね。
濃姫の詳しい素性については、歴史マニアたちも追い続けているそうです。実はこれらのエピソードも本当にあったことなのかわかりません。
新しい史料が出てこない限りは、謎のままなんだそうですよ。
魔王・織田信長については、こちらの記事でわかりやすく紹介しています。
まとめ
結局、濃姫のことについては、イメージでしか語ることはできないのです。
一つだけ、濃姫のエピソードとして信ぴょう性が高いのが「実家(斎藤家)のお寺に、父・斎藤道三の肖像を寄贈した」こと。
豊臣秀吉の正室で知られる「ねね」が、色々なエピソードを持ち合わせていることとは正反対ですね。
ということで、
織田信長の正室、濃姫ってどんな人物?5分で知る偉人!でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます^^