吉田 松陰(よしだ しょういん)といえば、「松下村塾」のイメージが強いでしょうか。
幕末の思想家としても有名で、日本の夜明けである明治維新に大きな影響をあたえた人物でした。
ペリーが来航したときには、許可なく黒船に乗り込みアメリカに行こうとしたり、思想も行動もダイナミックなものでした。
今回、吉田松陰のかんたんな経歴、辞世の句「親思う?」の意味について、松下村塾ってすごいの?についてご紹介します。
吉田松陰、プロフィール
名前:吉田 松陰(よしだ しょういん)
出身地:長州藩(現・山口県)
生誕:1830年9月20日
死没:1859年11月21日
享年:30歳(斬首刑)
時代:江戸時代
かんたんな経歴、何した人?どんな人?
1830年、吉田松陰は長州藩松本村に下級武士の杉 常道(すぎ つねみち)の次男として生まれました。
父は勉強熱心な知識人で、いつも農業のかたわら、松陰ら子どもたちと一緒に、四書五経をひたすら声に出し読み続ける毎日を過ごします。
四書五経とは、中国の哲学者孔子が残したマニュアル集で、人生や国家における物事の正しい道筋や順序の考え方が書かれています。
父の弟で、他家へ養子入りした二人の叔父たちも、松陰の人生に大きな影響をあたえました。
叔父の吉田大助(よしだだいすけ)は、幅広い分野の軍事学を教える、長州藩の藩校明倫館の先生でした。
もう一人の叔父である玉木文之進(たまき ぶんのしん)は、松下村塾を作り松陰を厳しく指導しました。
1834年、松陰が5歳の時に吉田家の養子に迎えられますが、その翌年に吉田大助は亡くなると、玉木 文之進の指導を受け豊富な知識を身に付けます。
その後松陰は、叔父・吉田大助の跡を継ぎ、わずか9才で藩校明倫館の先生となります。
11歳になると、長州藩主の毛利 慶親(もうり よしちか)に「松本村に天才あり」と言われるほど、日頃の知識を認められました。
1840年、アヘン戦争で中国が大敗した事をきっかけに西洋の軍事学を学び始めます。
九州と江戸へ旅立ち、更なる教養を求めて、熊本藩士の宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)と東北に行きました。
が、通行手形を持たずに行ったために、江戸に戻った松陰は脱藩とみなされ武士の資格を失うのでした。
1854年、日米和親条約締結のためにペリーがやってくると、大チャンスとばかりに黒船に許可なく勝手に乗りこみ、アメリカ留学(密航)を望みます。
しかしその希望は叶うことなく、そして密航を自主し捕まりました。
釈放されるも実家の杉家での幽閉生活となります。
そこで、開いたのが松下村塾でした。
「諸君、 狂いたまえ!」の名言が示すように、常識に捕らわれない活発な講義スタイルで、幕末から明治の時代に大きく関わった多くの逸材を輩出します。
1858年、幕府の井伊直弼(いいなおすけ)らが勝手に、日本にとって不利な条件で「日米修好通商条約」を締結しました。
すると松陰は、幕府の老中・間部詮勝(まなべ あきかつ)を猛烈に批判し、暗殺計画を立てます。
が、捕まります。
そして井伊直弼による「安政の大獄」での斬首刑で、30年の短い人生に幕を閉じました。
松下村塾ってすごいの?
吉田松陰と聞けば、すぐに松下村塾(しょうかそんじゅく)をイメージする方も多いと思います。
有名な松下村塾ですが、これってすごいのでしょうか。
この塾は、松陰の叔父である玉木 文之進が作った私塾と呼ばれる学校です。
当時の学校といえば、主に農民や商人の子どもが通う寺子屋と、限られた身分の選ばれし者だけが通える藩校がありました。
松下村塾は、身分に関係なく誰でも通える学校で、松陰は学生と一緒に討議し、山に登り海を泳ぐという共に学ぶスタイルでした。
四書五経はもちろん、日本の歴史から世界情勢まで幅広い分野を学ぶことができたのです。
日本の夜明けを待ち望んだ志士たちに、大きな影響を与えました。
そして、倒幕への原動力となり明治維新を迎えました。
つまり、松下村塾はすごいのです。
辞世の句「親思う~」の意味?
吉田松陰の辞世の句について。
「安政の大獄」の最後の犠牲者である松陰は、捕まった後も幕府に対し自分の思想が正しい事を主張しますが、受け入れられることはありませんでした。
斬首刑が決まり、死を潔く受け入れた松陰が、故郷の両親に宛てて詠みました。
「親思う 心にまさる親心 けふのおとずれ 何ときくらん」
意味は、「子どもが親を思う気持ちよりも、親が子どもを思う気持ちの方が強いことだろう。今日の処刑の知らせをどんな気持ちで聞くのだろう」と、親の気持ちを想像しながら詠んだ切ない句です。
松陰は、数々の名言を残しておりますが、その殆どが人生の手本としたい行動指針です。
その中でこの「親思う~」は、悲壮感漂うピュアな松陰の心が表れています。
まとめ
吉田松陰のあまりに短すぎた人生は、特別に濃密な時間でした。
武士の身分を失ってまで勉学に励む姿や、アメリカ留学計画。そして命の危険さえもあるのに幕府を批判したことに、松陰の熱い情熱を感じます。
松陰亡き後も、松下村塾の塾生たちが意思を受け継いでくれたからこそ、日本は明治維新を成し遂げ新国家が成立しました。
ということで、
吉田松陰を5分で!辞世の句「親思う~」の意味?松下村塾ってすごいの?でした。
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