ハリスといえば、アメリカの外交官として幕末の日本にやってきました。
外交官として日米修好通商条約を結び、初代駐日総領事として活躍した人物です。
今回、ハリスのかんたんな経歴、ペリーとの違いは?について、紹介していきますよ。
ハリス、プロフィール
名前:タウンゼント・ハリス (たうんぜんと・はりす)
出身地:アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ワシントン
生誕:1804年10月3日
死没:1878年2月25日
享年:73歳(死因 病死)
時代:江戸時代~明治時代
かんたんな経歴、何した人?どんな人?
1804年、ハリスはアメリカニューヨーク州に陶磁器の輸入業を営む、父・ジョナサン・ハリスの六男として生まれました。
兄弟も多く家が貧しかったために、学校を卒業した13歳から兄とともに家業である陶磁器輸入業を手伝います。
ハリスは、家業を手伝いながら時間をみつけては熱心に図書館に通い、なんと独学でフランス語、イタリア語、スペイン語をマスターしたのです。
家庭の経済的な理由から、進学できなかったハリスは、自分と同じように貧しい家庭で育つ子どもたちのために教育事業へ乗り出します。
1846年、ニューヨーク市の教育局長に就任し、翌1847年に無償で通える「フリーアカデミー」を作りました。
ハリス自身が語学を教えるなど、積極的な活動を行いました。
この時、ハリスが作った「フリーアカデミー」は、現在の「ニューヨーク市立大学」の前身となっており、ニューヨーク発展の人材育成に大きく貢献しました。
しかし1849年、景気の悪さが家業にも影響したため、ハリスは教育局長を辞めて、貿易商となります。
活動の場をニューヨークから以前より興味を抱いていた東洋(太平洋・アジア)へと移し、生計を立てていくことになったのです。
1853年、上海にいたハリスはペリー率いる黒船が日本へ行くことを知ると日本行きを強く希望しますが、軍人ではないハリスは日本行きをペリーに断られます。
日本へ行きたいハリスは、貿易商として東洋各地の情報を握っていること政府役人に猛アピールし、外交官としての一歩を踏み出し、寧波(にんぽー・現在の中国)の領事になりました。
当時も自由の国・アメリカは、身分に関係なく実力があれば役人となれたのです。
そして、ペリーによって開国された日本で領事の募集を知ると、1855年今度は外交官としてコネを使い、初代の駐日総領事となったのです。
ハリスに託された目的は、日本との貿易でした。
ハリスは、静岡県下田市に領事館を構え、貿易をするための条約締結にむけて幕府に働きかけます。
しかし、幕末の日本は海外の勢力を追い払い天皇を中心とした国を目指した、尊王攘夷思想が高まっており、徳川13代将軍・家定の体調不良を理由に交渉は延期される一方でした。
ハリスは、貿易のための条約締結が目的でしたが、その交渉の間に以前ペリーが結んだ、「日米和親条約」の改正にもエネルギーを注いでいたことから、ストレスで持病の胃潰瘍が悪化してしまったのです。
そこでハリスは、身の回りの面倒を見る世話人、つまり看護婦を周囲に求めました。
これを幕府はチャンスと捉え下田随一の芸者・お吉(斉藤きち)という若い女性を送り込んだのです。
幕府の狙いとしては、若い女性をハリスの愛人にしてあげれば、ハリスは日本の言うことを聞くだろうと考えたのです。
しかし、ハリスはこの幕府が仕掛けたハニートラップに大激怒したのだそうです。
ハリス自身は、貿易の条約締結に向けて焦らず粘り強くゆっくりと交渉していましたが、ついに待ちきれないアメリカは下田へ軍艦で乗り込んできました。
この軍艦をみた幕府はすぐさまハリスへ条約締結の交渉へ乗り出し、1858年「日米修好通商条約」が結ばれました。
条約締結から3年、ハリスは持病の悪化によりアメリカで帰国します。
帰国後は、これまでの活躍を大いに評価され74歳で亡くなりました。
ハリスは、日本人を「喜望峰(南アフリカ)以東の最も優れた民族だ」とし、また「下田も清潔で気持ちの良い町だ」と非常に好意的な姿勢を見せました。
しかし、超真面目な聖公会信徒(キリスト教徒)であったために日本の混浴を下品だとし、理解に苦しむと述べています。
また牛乳が大好きで、当時牛乳を飲む習慣がなかった日本で、お吉に牛乳を探させ約16リットルの牛乳を約4万円で手に入れたというエピソードが残っています。
日本でミルク(牛乳)が広まったのは、ハリスのおかげなのです。(・∀・)
ペリーとの違いは?
ハリスとペリーがごっちゃになる人が多いようですね。
どちらも江戸時代末期に日本にやってきて、日本の歴史に大きな影響与えた人物です。
ペリーは、1853年にアメリカ海軍のトップリーダーとして、黒船に乗って浦賀(神奈川県横須賀市)にやってきました。
ペリーの目的は、日本の開国です。
ペリー来航によって、約200年続いた鎖国は終わり、1854年に「日米和親条約」が結ばれました。
ハリスは、ペリーによって開国された日本に外交官としてやってきました。
ハリスの目的は貿易です。
下田(静岡県下田市)の領事館に滞在し、日米の貿易のために幕府と交渉し1858年に「日米修好通商条約」を結びました。
つまり、ペリーはアメリカ海軍のリーダーで開国を目的に1854年の日米和親条約を結んだ人、ハリスは外交官で貿易を目的に1858年の日米修好通商条約を結んだ人です。
けっこうわかり易いですね。(・∀・)
まとめ
ハリスをかんたんに語るポイントは、
・独学で、フランス語・イタリア語・スペイン語を習得した勉強家
・幕府のハニートラップ作戦に大激怒した
・牛乳が大好きで、日本に広めた
・外交官となり、日本と貿易するために「日米修好通商条約」を結んだ
・超真面目な聖公会信徒なので、生涯独身で童貞だった
ということで、
5分でハリスについて!ペリーとの違い?ごっちゃになる?でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます^^