東郷平八郎といえば、最強の海軍の司令長官として有名です。
日露戦争で大活躍した東郷平八郎は、世界的に人気があります。
彼が天皇からもらった刀、イケメンな名言、子孫については今でも注目の的です。
東郷平八郎のエピソードを紹介していきますよ。
東郷平八郎、プロフィール
東郷平八郎(とうごうへいはちろう)
出身地:薩摩(鹿児島県)
生誕:1847年12月22日
死没:1934年5月30日
享年:88歳(病死)
時代:江戸時代-昭和時代明治時代の薩摩藩士
軍人(階級は元帥海軍大将)
東郷平八郎って何した人?どんな人?
東郷平八郎といえば、日露戦争でのロシアとの戦いを勝利に導いた、海軍の司令長官ですね。
当時、世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を破ったことで世界中が震えました。
東郷平八郎の経歴を紹介します。
東郷平八郎の経歴
薩摩藩(鹿児島県)の藩士だった東郷平八郎は、薩英戦争や戊辰戦争に参加しました。
明治維新後は海軍に入りました。
7年間イギリスで国家間の法律を学んだ後、海軍にもどり、日清戦争にも参加。
途中でハワイの女王へのクーデターを鎮圧するのにも参加しています。
日露戦争では連合艦隊司令長官に任命され、この戦争では超大活躍。
日露戦争で、当時、世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を破り、大勝利をおさめました。
アジアの小さな国だった日本が、大国ロシアの艦隊を負かしたことは、世界中を驚かせたのです。
特に、当時ロシアの政策に困っていた国(トルコ、ギリシャなど)では、「日本ありがとう!東郷ありがとう!」と讃えられ、子供に「トーゴー」の名付けるのが流行ったのだそうです。
東郷平八郎は日露戦争で世界的ヒーローになったのでした。
イケメンでモテまくり?
東郷平八郎の写真ですが、とても厳格で怖そうなお顔ですよね。
強そう。(・∀・)
でもやっぱり整った顔立ちで、かなり男前。イケメンというより男前。
年をとっても芸者さんによくモテたとのこと。
このお人は、司令官としての功績から、米海軍も崇拝したレベルで人気があったのです。
実は声が残っています。その中に、演説最中の東郷の写真を取ろうとしたジャーナリストへの一喝が入っています。
よくキレる性格で、短気だったようです。
名言がたくさんある?
やっぱり偉人の言葉は、ちょっとかっこいい事を言えば名言扱いされるようですね。
東郷平八郎にも名言は多いのですが、有名なのは、勝利に導いた日露戦争のときの言葉。
『降伏するのであれば、その艦は停止せねばならない。しかるに、敵はいまだ前進している。』
これは、世界最強のバルチック艦隊が降伏してきたときのこと。
バルチック艦隊が白旗をふって降参しているのだけれど、その船はこちらに向かって前進してきている。
本当に降参なら、船は停止しなければならない。
敵は、白旗を振りながらも、前進し続けたため砲撃を続行させました。
これは国際法にのっとった、確かなルール。
その徹底ぶりが、東郷平八郎の勝ち運を印象づけています。
あと面白いのは、軍学校の生徒に、「死なないで済むのはどの軍ですか」と聞かれた時。
「だったら海軍が良い。陸軍は死ぬからな、入るのなら海軍だ」と冗談を言って海軍に入れさせようとしました。
その後、陸軍元帥に怒られたそうです。
けっこうおちゃめですね。
まとめ
東郷平八郎の偉業について紹介しました。
英雄「トーゴー」は仕事もできて、いい男。名言からも徹底した男っぷりが伺えますね。
東郷平八郎の葬儀には、日本人以外でも参加する人がでたり、勲章を受けたり世界中で名指揮官として評価されています。
ということで、東郷平八郎をカンタンに語るポイントは、
・日露戦争の英雄で、世界で「トーゴー」と子供に名付けるのが流行った!
・ロシアの世界最強のバルチック艦隊をたおした!
・晩年もコワモテイケメンで女にもモテた!
最後まで読んでいただきありがとうございます^^