高杉晋作(たかすぎしんさく)といえば、江戸幕府をたおした天才です。
今回、高杉晋作のかんたんな経歴、辞世の句の名言の意味、子孫やお墓について紹介していきますよ。
高杉晋作、プロフィール
高杉晋作(たかすぎしんさく)
出身地:長門(山口県)
生誕:1839年8月20日
死没:1867年4月14日
享年:29歳(病死)
時代:江戸時代
高杉晋作って何した人?どんな人?
高杉晋作は、「奇兵隊(きへいたい)」という軍隊を率いて、長州藩での実権をにぎり、幕府を倒した人です。
ここでは、高杉晋作のかんたんな経歴を紹介します。
高杉晋作、かんたんな経歴
高杉晋作は、長州藩(山口県)の藩士の子です。
晋作が19歳のとき、吉田松陰(よしだしょういん)の松下村塾に入門しました。
しかし2年後、松陰は幕府に、斬首刑にされてしまいます。
「このままでは日本がヤバイ。」という松陰の考えを継いだ晋作は、日本の将来を考ました。
その後、清(中国)に渡った晋作は、清が欧米各国によって支配されている様子を見ます。
「このままでは、日本も清と同じように、欧米に支配されてしまう」と考えた晋作は、長州藩にもどると攘夷(外国勢力を追放しようとする考え方)を進め、日本を外国から守ろうとします。
江戸にあるイギリス公使館を燃やしたりします。
そして、関門海峡(山口県と福岡県を隔てる海峡)で、欧米各国の船を砲撃します。
しかし翌年、しかえしを受けて、敗れます。
長州藩の藩主から下関(山口県)を守るように命じられた晋作は、「奇兵隊」をつくり、とても強い軍隊にしました。
奇兵隊とは、「身分の関係なしに、長州藩を守りたい人だけ結成した軍隊」で、武士の他に、農民、商人なども参加しました。
奇兵隊は、西洋式の訓練を取り入れて、超強力な軍隊になりました。
その頃、「禁門の変」を起こして敗れた長州藩は、朝廷の敵となり、幕府軍に攻めこまれて敗北しました。
そのため長州藩の内部では、幕府に味方する人たちが実権をにぎるようになりました。
でも晋作は、「奇兵隊」をひきいて、藩の実権をうばい返します。
さらに晋作は、1866年、第2次長州征伐で、10万人の幕府軍を、わずか4000人の兵士で返り討ちにし、勝利します。
しかし、晋作は、幕府がほろびる直前に、肺結核のため29歳で病死しました。
辞世の句の名言「おもしろき こともなき世を おもしろく」の意味
高杉晋作の名言。
おもしろき こともなき世を おもしろく
すみなすものは こころなりけり
これは超有名ですね。
下の「すみなすものは…~~」の句は、晋作が死ぬ直前に、看病していた人が付け足したといわれています。
ただ「おもしろき…~~」は、晋作本人で、元気だったころに読みました。
句の意味は、もう言葉通りです。わかり易いです。
「おもしろくないこの世の中を、おもしろおかしく生きよう。心の持ちようだ。」という感じですね。
シンプルで深い。とても良いです。(・∀・)
お墓はどこに?
高杉晋作のお墓について。
高杉晋作のお墓は、晋作のふるさと・山口県の下関市、「東行庵(とうぎょうあん)に、高杉家のものとしてあります。
ふるさとで眠っていたのですね。
あとは、今の靖国神社(やすくにじんじゃ)に、神格として祀られています。
靖国神社にというと意外かもしれませんが、日本には御霊信仰というものがあります。
悲しい亡くなり方をしたり、志半ばだった人の魂を祀ることで守護者とするという考えです。
ちなみに、明治より前ですと、お寺と神社は同じ敷地にありました。「神仏習合」といいます。
神道、仏教の両方にお墓があってもおかしくはないのです。
子孫は続いてる?
高杉晋作の子孫は、現代まで続いているのか。
子孫は続いているようです。
漫画家でイラストレーターの、金田一蓮十郎さん(きんだいち れんじゅうろう)がそうなのだそう。
本名や顔写真は公表しておらず不明ですが、女性です。
金田一蓮十郎さんの祖父(山口県出身)が、「おれは高杉晋作の末裔なんだぞ。」と言っていたと言います。
金田一蓮十郎さん自身も、「本当だったらおもしろいね。」くらいな感じなのだそう。
高杉晋作には愛人がいたことが有名ですが、子供は正妻との間に1人できているだけです。
まとめ
あまりに早い終わりを迎えた高杉晋作の人生。
彼がいなかったら日本の領土は諸外国にとられて植民地になっていたであろうという伊藤博文の言葉があります。
激動の時代に活躍したからこそ、現代でも大人気偉人なのです。
ということで、
高杉晋作を5分で!名言や辞世の句の意味、お墓や子孫についてでした。
高杉晋作について、かんたんに語るポイントは、
・めっちゃ強い奇兵隊を率いて、幕府軍を倒した天才!
・名言・「おもしろき‥~~」がかっこいい!
・肺結核のため、志半ばで死んだ!
・子孫が、漫画家の金田一蓮十郎!
こんな感じでどうでしょう。(・∀・)