江戸時代

高野長英を5分で!どんな処罰をうけた?危ないと叫んだオランダ語って?

高野長英(たかの ちょうえい)といえば、江戸幕府の鎖国を猛烈に批判していた人物。

もう少し生まれるのが遅かったら、もう少し生きていたら、日本の夜明けを見ていたかも知れません。

今回、高野長英のかんたんな経歴どんな処罰をうけたのか危ないと叫んだオランダ語って?について紹介します。

 

高野長英、プロフィール

takanochoei

名前:高野長英(たかの ちょうえい)
出身地:陸奥国(現・岩手県水沢市)
生誕:1804年6月12日
死没:1850年12月3日
享年:47歳(自害)
時代:江戸時代後期

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

野長英は、1804年に陸奥国に生まれました。

父の後藤実慶は武士でしたが、9歳で父を亡くし、医者である叔父の高野玄斎の養子となります。

義父である高野玄斎は若い頃に杉田玄白のもとで医学を学んだ事から、長英も医学をはじめ学問には非常に積極的でした。

 

父の反対を押しきって長崎に行き、シーボルトが作った鳴滝塾(なるたきじゅく)で医学をはじめヨーロッパの文化など幅広く学びます。

その才能をめきめきと伸ばし、優秀な成績を修めたのでした。

 

1828年、あのシーボルト事件が起こりました。

シーボルトの関係者ということで、共に学ぶ仲間は取り調べを受け逮捕者まで出ましたが、長英はなんとか逃げ切り逮捕から逃れます。

 

世間からシーボルト事件が忘れ去られようとしていた頃に、長英は江戸麹町で開業し、町医者となりました。

また医者という職業のかたわら、シーボルトの元で得た知識や研究を本にまとめ出版するのでした。

 

ーボルトといえば、医師であり学者であり、あの「銀河鉄道999」のメーテルのモデルになった女性の先祖でもあります。

こちらの記事でシーボルトについて、かんたんにわかり易く紹介しています。

>>>シーボルトを5分で!楠本イネとの子孫がメーテルのモデルに?

 




とても厳しい処罰をうけた?

野長英は、幕府を批判し、厳しい処罰をうけた事で有名です。

しかしこれは、確実に正義の心がありました。

かんたんにわかり易く紹介してみます。

 

1837年、アメリカの船モリソン号が漂流していた日本人を乗せて浦賀にやってきましたが、日本は「異国船打ち払い令」により砲撃しました。

後にモリソン号は、漂流した日本人を助けてくれていたという事がわかります。

 

そして高野長英は、モリソン号や鎖国について、戊戌夢物語(ぼじゅつゆめものがたり)という本を書き幕府を猛烈に批判します。

1839年、その本がきっかけで長英は逮捕されるのでした。

これを「蛮社の獄(ばんしゃのごく)」といいます。

 

社の獄では、長英の仲間たちも多く捕まっています。

高野長英は政治犯として、現代でいう終身刑に近い無期懲役の永牢(ながろう)という罪で日本橋伝馬町の牢屋に入りました。

 

牢屋に入るも医者として他の罪人たちを診察し、熱意は保たれたままです。

そんな中、牢屋の番人に放火をさせ脱獄をしたのでした。

 

3日以内に戻ってくれば減刑、戻ってこなければ死罪と言い渡された長英ですが、薬品で顔を焼き、見た目を変えて逃亡を続けます。

四国の宇和島藩(現・愛媛県)に身を寄せるも長くは続かずに江戸に戻ります。

江戸で沢三伯と名乗り町医者を開業しますが、幕府の役人にみつかり自害したのでした。

 




オランダ語で「あぶない!」と叫んだ?

野長英は、とてもオランダ語に優れていました。

シーボルト鳴滝塾のもとで一緒に学んだ仲間たちとのパーティーでは、日本語を話したら罰金というルールがあったとされています。

 

大半の仲間がお酒に酔ってくると日本語を話しますが、長英はずっとオランダ語で話します。

これを面白くないと思った仲間が勢い余って長英を階段から突き落とすのでした。

しかし、こんな時でも長英の口からは迷わずにオランダ語が飛び出してきます。

「Gevaarlijke(ヘファーレク)」危ない!と言う意味の単語をいったのでした。

これは、長英がいかにオランダ語に優れていたかを周囲に知らしめたエピソードとして有名です。

 

 

まとめ

日本の夜明けを夢見た長英の夢が叶うのも、すぐそこまで来ていました。

長英の死後4年後に日本は開国します。

幕末の動乱期にもし長英が生きていたならば、またちょっと違った夜明けを迎えていたのかもしれません。

 

ということで、
高野長英を5分で!どんな処罰をうけた?危ないと叫んだオランダ語って?でした。

 

高野長英をかんたんに語るポイントは、

・シーボルトの鳴滝塾の学生だった
・優秀な蘭学者(医師・学者)だった
・オランダ語で危ない!と叫んでいた
・蛮社の獄で牢屋に入るも脱獄をした
・薬で顔を焼き、人相を変えて医者として働いた
・日本の夜明け(開国)を夢見ていた

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

ABOUT ME
りょーま(管理人)
れきし上の人物.comの運営者。「かんたんにわかり易く」をモットーに、歴史が苦手な人向けに、記事を作成しています。難しい話は省いて、通説を元に書いていることをご理解の上、気軽に読んでください。m(__)m