小野妹子(おののいもこ)といえば、聖徳太子から随(ずい・中国)への使者に任命された人物ですよね。
今回、小野妹子とはどんな人物だったのか、かんたんな経歴、本当の性別、遣隋使とは?について、紹介していきますよ。
小野妹子、プロフィール
小野妹子(おののいもこ)
出身地:近江(滋賀県)
生誕:???
死没:???
享年:???
時代:飛鳥時代
小野妹子って何をした人?遣隋使って何?
小野妹子といえば、聖徳太子に随(ずい・中国)への使者に任命され、手紙を渡しに行った人物です。
歴史的な大役を果たした人物ですが、プロフィールなどに関しては本当にナゾだらけですね。
ここでは小野妹子のかんたんな経歴を紹介していきますよ。
かんたんな経歴
小野妹子は、豪族の家に生まれ、役人になります。
しかし家柄が低かったため、地位も低かったのでした。
そんな時、聖徳太子が「冠位十二階」を定め、地位を「家柄」から「能力」を重視してから、能力のある妹子は、どんどん出世します。
聖徳太子は、妹子を随(中国)への使者という、大役に任命しました。
当時、随は強大で、日本は支配されるかもしれない立場でした。
それで聖徳太子は、「これからは日本と随は対等だよ」と書いた手紙を、妹子にたくしたのです。
これを遣隋使といいます。
手紙は「日がのぼる国の天子(聖徳太子)が、日がしずむ国の天子(随の皇帝)にお手紙します」という書き出しで、随からしてみれば、失礼にあたるものでした。
随の皇帝は、この手紙を読んで激怒しました。
しかし妹子はひるみません。
それを見た随の皇帝は、妹子を認め、日本と対等に交流することにしたのでした。
そして妹子は、随の進んだ政治や文化を勉強して日本に帰り、最終的に「冠位十二階」の一番高い位までのぼったのでした。
「冠位十二階」について、こちらの記事でかんたんに紹介しています。
妹子は手紙をなくした!?
随の皇帝は、なまいきな聖徳太子に、怒りの手紙を書いたという説があります。
妹子はその手紙をあずかりますが、さすがに聖徳太子に渡すことはできず、帰り道に手紙をわざとなくしたことにしたのだそう。
そして聖徳太子には、随の皇帝が日本と仲よくしようとしている、ごまかしたのだそうです。
なかなかやんちゃで有名なエピソードですが、これについては、ただの一説ということで、本当の話なのかどうかはよくわかっていません。(・∀・)
性別は男?女?
小野妹子の性別について。
妹子(いもこ)というから、女でしょ?なんて思っている人はクラスに1人はいましたね。
しかし、「子」がつけば女性だというのは、全然ちがいます。
そういえば、蘇我馬子(そがのうまこ)も「子」ですね。男です。
ということで、小野妹子は男です。肖像画でも男性ですね。
しかし、現実に女性だったのではないかという説もあります。
妹という文字です。
「いもうと」という意味もありますが、奥さんや女性の恋人の呼び方でもあります。
小野妹子は実は女性で、男装していた可能性も、もしかしたらあります。(真面目)
女性だった場合、なぜ男にしたのかというのは、当時は女性の地位が低かったからとも言えるでしょう。
まあ、この説は一部で言われている事で、信ぴょう性はあまりないです。
まとめ
ということで、
小野妹子とはどんな人物?実は女?本当の性別や遣隋使について簡単にわかり易く紹介でした。
小野妹子について、かんたんに語るポイントは、
- 随(ずい・中国)へ「遣隋使」として行き、大役を果たした
- (たぶん)男だった!
最後まで読んでいただきありがとうございます^^
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