井伊直政(いいなおまさ)は、実は容姿端麗な武士だったという逸話があります。
戦の指揮を執るのではなく、戦場を駆け回って武勲を上げる熱い性格で、とても負けず嫌いだったと言われています。
今回、井伊直政のかんたんな経歴、鎧や兜が赤くてすごい?について紹介していきますよ。
井伊直政、プロフィール
井伊直政(いい なおまさ)
出身地 静岡県
生誕 1561年3月4日
死没 1602年 3月24日
享年 41歳
時代 安土桃山時代-江戸時代
かんたんな経歴、何した人?どんな人?
井伊直政は遠江国井伊谷(今の静岡県)で生まれ、家康の小姓となりました。
幼いときから勇ましく、家康を暗殺しようとした武田軍の忍者を討ち取るなどしました。
小柄な体でしたが、赤い鎧に鬼のような角をあしらった兜をつけていたので「井伊の赤鬼」と呼ばれ戦場で恐れられていました。
豊臣秀吉が死去した後は、豊臣方の武将を徳川軍の味方に引き入れるなどの交渉術にも優れていたので、まさに徳川の懐刀(超大切な家臣)と言えるでしょう。
関ヶ原の戦いでも、全国の諸大名を徳川家康率いる東軍につけるなどの軍監としての働きを見せると思ったら、先陣が決まっていたにもかかわらず松平忠吉と抜け駆けをして戦を始めるなどやっぱり戦うことが大好きな井伊直政なのでした。
関ヶ原の戦いで大怪我を負った井伊直政でしたが、戦後処理や徳川家康のために江戸幕府の基礎固めを行うなど精力的に活動しました。
この戦いで負った鉄砲傷が癒えずに江戸幕府が出来て2年で亡くなるまで、家康のために尽力したのです。
ちなみに恐妻家だという逸話もあり、短気で負けず嫌いな井伊直政も、正室の唐梅院(とうばいいん)には、頭が上がらなかったのだとか。
どんな豪傑な人にも苦手なものはありますよね。(・∀・)
兜や鎧が赤くてすごい?
井伊直政は、兜や鎧など戦で使う全てのものを赤色で統一していました。
「井伊の赤備え」と今では言われています。
こんな感じ。
これには戦場で赤色は目立ちやすく、戦場のどこにいても自分の部下がわかるという利点があります。
諸大名からは「戦国屈指の精鋭部隊」「徳川家臣団最強の部隊」とも言われ恐れられていたそうです。
戦場で真っ赤な兜や真っ赤な鎧を着ている武士がいたら「か、返り血?強い奴だ!逃げろ!」と怖がられるに決まっています。
しかも井伊直政の兜には、鬼のような角の装飾品もついていたといわれているのでまさに「井伊の赤鬼」でしょう。
また、井伊直政は、自分にも他人にも厳しいことで有名で、家臣のちょっとした失敗を許さずにすぐ手討ちにするので「人斬り兵部」とも呼ばれたのだとか。
凄まじい人物だったのですね。(・∀・)
まとめ
井伊直政は、徳川四天王や徳川三傑に数えられるなど家康の信頼を受けた武将です。
短気で負けず嫌いという子どものような一面もあり、部下をすぐ手討ちにする反面、自分の奥さんには弱かったと逸話に事欠かない人物だったと思います。
ということで、
井伊直政を5分で!鎧や兜が赤い理由って?でした。
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