ド・レペといえば、手話を作った人ですね。
聾唖(ろうあ・耳が聞こえないこと)の人のために世界で初めて学校をつくった偉い人です。
今回、ド・レペのかんたんな経歴、ろうあ学校への情熱について、紹介していきますよ。
ド・レペ、プロフィール
シャルル・ミシェル・ド・レペー(Charles Michel de l’Epee)
出身地:フランスのヴェルサイユ
生誕:1712年11月24日
死没:1789年12月23日
享年:77歳思想家・教育者
かんたんな経歴、何した人どんな人?
ド・レペは、1712年にフランスのヴェルサイユで、4番目の子として生まれました。
父は後に宮廷の建築家となる人で、母は大手の建築会社の娘です。
かなり裕福な家庭で育ちました。
生まれてからすぐに「洗礼」を受けて、それからキリスト教となります。
8歳ころから学校に通いはじめました。
当時の学校は、裕福な家庭の子どもたちだけでした。
そこで彼はいろいろな勉強を猛烈にしました。
特に哲学、論理学、倫理学、自然科学などに熱心でした。
18歳ころにはパリ大学法学部に入学し、3年後には法学士となり、パリ大学を修了しました。
カトリック教会の司祭になろうとしてましたが、ジャンセニスム(異端的とされたキリスト教思想)を否定しなかったため、なれませんでした。
40代のころ、彼はろうあ(耳が聞こえないこと)の姉妹に会いました。
それがきっかけで、ド・レペは「彼女たちを教育することが私の天命だ」と確信し、耳が聞こえない人たちのための学校をつくりだします。
学校には、自分自身の財産、時間をフルパワーで注ぎました。
最初は学校とも言えないようなショボさでしたが、困難を乗り越え徐々に大きくなっていきます。
後に世界で初めて「手話」ができました。
ド・レペの学校が国立の学校として認められたのは、彼が亡くなった数年後でした。
ろうあ学校への情熱
ド・レペは、ろうあ学校を世界ではじめてつくり、手話も完成に導いたすごい人です。
実は、各国ではろうあ学校を作ろうとしている人はけっこういました。
しかし儲からないことと、教育方法が難しすぎることで、みんなが諦めていきました。
またそのほとんどの人たちは、自分の名誉や金儲けのためと考えていたのでした。
でもド・レペは違いました。
彼は学校をつくるため、ろうあの人たちのために自分の財産のほとんどをつぎ込みました。
さらにろうあ学校について、自分が掴んだコツを惜しみなく公表します。
これは金儲けのためだけでなく、本気でこういう学校が発展してほしいと思っていたからです。
生涯、そのことに尽くしました。
母国フランスではすでに英雄とされていますが、もっともっと日本や他の国でも英雄と認知されるべき偉人なのです。
まとめ
ということで、
ド・レペってどんな人物?ろうあ学校を世界で初めて作った人?でした。
・ろうあ学校をつくるために尽くした!
・手話をつくった!
最後まで読んでいただきありがとうございます^^