浅井長政といえば、イケメン好青年なイメージで現在では描かれていますね。
あの信長の妹を妻にもったことでも知られ、その娘たち三姉妹が超美人だったなんて説もあります。
そもそも浅井長政は、どんな事をしたのでしょうか。娘・美人三姉妹についてや、その子孫は現代まで続いているのかを紹介していきますよ。
浅井長政、プロフィール
浅井長政(あざいながまさ)
生誕:1545年(天文14年)
死没:1573年9月26日(天正元年9月1日)
享年:29歳
死因:自害
時代:室町時代(戦国時代) – 安土桃山時代
わずか29歳で死んだ浅井長政。悲運の武将として語られることもあります。
現在で言う滋賀県の、小谷城に住んでいて、最後はそこに信長に攻めこまれ自害しています。
小谷城の悲劇について、こちらの記事でカンタンにわかりやすく紹介しています。
>>>信長は浅井長政の頭蓋骨をコップにしてた?小谷城の悲劇って?
浅井長政ってどんな人なの?
浅井長政という名前は、そんなに日本史に詳しくない人でも聞いたことがあるかもしれません。ゲームとかでもよくでてきますね。
そもそも、浅井長政ってどんな人なのでしょうか。やっぱり凄い人なのでしょうか。
浅井長政がどんな人物だったのか、5分でわかるようにカンタンに紹介していきますよ。
浅井長政ってどんな人?
浅井長政は戦国時代の武将のひとりです。めっちゃ強かった事でも知られています。いわゆる「武勇に優れた人」ってことですね。
彼が住んでいた国は、水の都。琵琶湖(滋賀県)のほとりに小谷城を構えていました。
浅井家は近くの「六角家」に支配されていて、その事に長政は苛立っていました。
お父さんはある時、長政を「六角家」に婿養子に差し出そうとすると、長政の怒りが爆発。
六角家と戦になり、見事勝利して、自由を得ます。
その後、初めて名前を「長政」にしますが、この「長」は信長からとったもの。信長に憧れていたのですね。
一方、信長も浅井長政の武勇を聞き、一目おいていました。両思いだったのですね。
信長は自身の妹・お市の方を、浅井長政と結婚させることを考えます。政略結婚というやつですね。
こんな感じで、織田家と浅井家の同盟が始まり、関係はとっても良好だったのです。
しかしその後、織田家と朝倉家がケンカをしだすのです。
朝倉家は浅井家と深く親交があり、織田と浅井が同盟を組む時も、「朝倉家とは敵対しない」という条件をつけていたくらいです。
しかし、信長はその条件を無視。勝手に朝倉家を攻め込みます。
これには長政もめっちゃ悩んだのだそう。織田につくか、朝倉につくか。
長政は、朝倉に加勢することを決めます。
それに信長は大激怒します。超自己中ですね。(・∀・)
最初は、織田家を追い詰めるも、最後には追い詰められ、古代城も墜落。
29歳で、自害します。
この死に様については、こちらの記事でもわかり易く紹介しています。
>>>信長は浅井長政の頭蓋骨をコップにしてた?小谷城の悲劇って?
妻・お市の方との娘が三姉妹で超美人?
浅井長政といえば、信長の妹・「お市の方」を妻にしたでも有名ですね。
その二人の娘、3姉妹が超美人だということでも、語りつがれています。
3姉妹と呼ばれるのは、茶々、初、こうの3人です。
写真はやっぱり当然、存在していませんね・・・。(・∀・)
お市の方は信長公の妹ですが、この家の人はやや線が細い綺麗な顔をしていることが多いのです。
お市の方自体も、実年齢より非常に若く見える美女だったそうです。
実は信長も、おもいっきり女装が似あう細面の持ち主で、子供のころから馬鹿にされていたのだとか。
でも、はっきり美女だと言われているのは次女の初だけなのです。
長女・茶々は、秀吉の側室。父親の長政には少しだけ似ていますが、体が大きすぎたそうです。なんと身長170センチぐらいとのこと。
これは、当時男性の平均身長が155~158cmなので、茶々はめっちゃんこ大きかったのです。
次女・初は、浅井家と縁がある京極高次に嫁ぎます。従兄弟との結婚ですね。
後に高次は家康に従って、関ケ原の戦いの周辺の戦闘で西軍を動けなくします。近江を引き継いだ大名ですね。
三女・こうは、豊臣秀勝、秀吉公の甥、その死後は徳川秀忠に嫁いでいます。相手は若干身分が低いのです。
こうは、実は美人だったか分かりません。史料には、美人だったという逸話が残っていないのです。
骨格から華奢であったことはわかっていますが…。2番目の初が一番綺麗だったという噂です。
彼女らの美人っぷりについては、こちらの記事でカンタンにわかり易く紹介しています。
・長政の妻・お市の方を5分で知る!娘の三姉妹や辞世の句の意味について
・長女・茶々を5分で知る!
・次女・初を5分で知る!
・三女・江を5分で知る!
子孫はまだ続いてる?
長政の血は現代でも続いているのでしょうか。子孫について考えてみます。
確実にわかっている子孫は天皇家の方々です。
「こう」が豊臣秀勝に嫁いだ後、女の子をひとり産みます。それが官子です。
茶々(長政の長女)が官子を引き取って育てますが、その子孫が後に、天皇のお妃(お嫁さま)になっています。
お相手は大正天皇。もちろん、昭和天皇や今の平成天皇も子孫ということになり、血を受け継いでおいでなのです。
とても壮大なのですね。(・∀・)
まとめ
浅井長政のエピソードや、子孫について。お市の方との娘・三姉妹について紹介しました。
浅井長政をカンタンに語るには、
・戦もめっちゃ強くて、信長も一目おいていた。
・自分も妻も、3姉妹も美男美女!
・現在も、天皇家に血は続いている!
最後まで読んでいただきありがとうございます^^