お市の方といえば、あの魔王・織田信長の妹で浅井長政の正室として知られています。
さらにめっちゃ美人だということでも語られます。
今回お市の方について、人物エピソードや偉業、有名な娘の三姉妹や辞世の句の意味について紹介していきますよ。
お市の方、プロフィール
お市の方
生誕:1547年
死没:1583年6月14日
享年:37歳
死因:自害
時代:戦国時代-安土桃山時代
信長の妹
浅井長政の正室
お市の方をカンタンに紹介するにあたり、彼女の経歴をまとめてみましょう。
お市の方は、浅井長政と政略結婚します。これにて、織田家と浅井家が同盟を結ぶのです。
しかしそのうち、織田家と浅井家は対立し、仲が悪くなります。
織田家と浅井家はいくさになり、浅井家は滅びます。お市の方と娘達だけ救出され、実家である織田家に引き取られます。
その後は織田家で、厚い待遇、贅沢な暮らし。
信長の死後、柴田勝家と結婚し、勝家の正室となります。
で、勝家が秀吉と対立して、戦で敗れ、彼女は夫・勝家と共に自害します。
人物エピソード、偉業
戦国一の美女とまで語りつがれているお市の方。
実は彼女の人生については、ほとんど何もわかっていないのですね。正確な史料にはなにも記録がないのです。
ここでは、お市の方について色々な逸話、エピソードを紹介していきます。
1,めっちゃ美人だった?
「戦国一の美女」とまで言われるお市の方。
ほんとに美人だったのでしょうか?どんな顔だったのでしょうか?
まず、彼女の肖像画の顔ですがこちら。
ん~~~。(・∀・)
まあ、当時の美的センスはよくわかりませんが、(・∀・)、どうやら美人っぽい感じは出ていますよね。
確かな史料の数々にも、お市の方についてはガチの美人だったとの記録が書かれていて、自害した37歳の時点でも、22,23歳に見えるほど透き通った女性だったとのこと。
また、彼女は八頭身美人だった説も出てきているようですが、これは信ぴょう性はわかりません。(・∀・)
実はお市の方だけではなく、織田家は全員美形だったのだそうですよ。
2,夫・浅井長政とは仲良し
夫の浅井長政とはかなり仲良しだったのだそうですね。これも史料に記録されている事で、確かなようです。
2人は政略結婚で、この結婚によって織田家と浅井家は同盟を結ぶことになったのです。
元は政略結婚でも2人はとても仲良しで、実家の織田家と浅井家が揉めだし対立した時にも、娘を出産しています。
かなりラブラブだったのですね。
3,有名な娘・三姉妹について
夫・浅井長政とお市の方の間には3人の娘がいるのですね。この三姉妹は茶々、初、江で、戦国時代の女性の代表みたいな感じにもなっています。
茶々は特に有名ですから聞いたことがあるのではないでしょうか。秀吉の側室で、秀吉との間に子供も出産しています。
この三姉妹(茶々、初、江)については、こちらの記事でカンタンにわかり易く紹介しています。
4,辞世の句の意味は?
お市の方の最後は、自害となっています。
これは再婚した夫・柴田勝家が秀吉と対立し、いくさに敗れた時ですね。
夫・勝家と共に越前北ノ庄城内で自害しています。
その時2人は辞世の句(この世への別れの言葉)を詠み合ったのだそうで、ちょっと有名になっています。
2人の辞世の句、
お市の方「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜に 別れを誘う ほととぎすかな」
こう詠んだお市の方に対して、勝家は、
勝家「夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ ほととぎす」
と返しました。近くにいた有名な歌人は、勝家が書き留めたコレを見て、
歌人「おもうどち 打つれつつも 行道の しるべやしでの 山ほととぎす」
と返したのでした。
ホトトギスは別名「死出の田長(たをさ)」と言われていて、あの世から迎えに来るという伝説があったのです。
辞世の句の意味としては、
お市の方「ただでさえ、そろそろ眠る頃合いなのに、天が迎えにきたようです。ホトトギスがこの世に(夏の夜に)別れを誘っているのでしょう」
勝家「夢の途中だがいい人生だった!ホトトギスよ!俺たちが生きた証を轟かせてくれ!」
歌人「お二人の行く道では、きっと、ほととぎすが道しるべとなってくれますよ。そう思うのです。」
的な感じですね。(・∀・)
そしてその後まもなく、勝家とお市の方は自害します。なんとも華のある最後となったのです。
まとめ
お市の方について、娘の三姉妹についてた、勝家との辞世の句の意味について、人物エピソードを紹介しました。
ということで、お市の方についてカンタンに語るには。
・めっちゃ美人だった、「戦国一の美女」
・有名な娘たち三姉妹(茶々、初、江)がいる
・最後の言葉、辞世の句が深い
最後まで読んでいただきありがとうございます^^