真田幸村(真田信繁)といえば、現代の人にも大人気な武将ですよね。人気ランキングでも常に上位にいるイメージです。
「日本一の兵(つわもの)」とも称される、幸村ですが、どのような人物だったのでしょうか。
今回、真田幸村のエピソードや偉業、家紋・六文銭の意味や由来、人質や九度山に幽閉されていた話など、カンタンにわかり易く紹介していきますよ。
真田幸村(真田信繁)、プロフィール
本名:真田信繁
生誕:永禄10年(1567年)、または元亀元年(1570年3月8日)
死没:慶長20年5月7日(1615年6月3日)または寛永18年(1641年)
時代:室町時代(戦国時代)-安土桃山時代 – 江戸時代初期
実名は「真田信繁」なのですね。
「幸村」はどこからきたのかということですが、これは彼の死後に書かれたある書物から。
その書物では、信繁が大阪に行ってから幸村に改名したと書かれているのです。
しかし、正確な史料には、彼が幸村に改名した記録はなく、生きている間ずっと「信繁」で通っていたようです。つまり創作なのですね。
しかし、現代まで「幸村」があまりにも浸透したため、今では当たり前に「真田幸村」が一般的になっています。
偉業
「日本一の兵」とも称される幸村ですが、どんな偉業があるのでしょうか。
彼がどんな事をした人なのか、けっこうみんな知らないようなんですね。
幸村の偉業といえば、「大阪の陣」での活躍でしょう。幸村の真骨頂となります。
この戦で華やかに死ぬのです。
あの徳川家康を追い詰め、馬印をもなぎ倒す無双っぷり。
一時は家康に自害まで覚悟させたほど。
その奮闘する姿から、「日本一の兵」と称されたのです。
最後は、極度の疲弊で休んでいる時に攻めこまれ、敵に首を差し出す形で討ち取られます。
人物エピソード
幸村はどんな性格でどんな人物だったのでしょうか。
幸村の人物エピソードや逸話を紹介します。
六文銭の家紋、意味や由来?
真田幸村といえば、六文銭の家紋ですよね。上の画像のヤツです。
これですが、意味や由来について諸説あるようです。
ひとつの説として、この家紋は幸村の幼い時の知略が由来しているというもの。
幸村が幼い時、真田家は属していた武田信玄が滅び、北条に領地を脅かされていたのです。
父・昌幸が北条の大軍に襲われた時、幼い幸村は「永楽通宝を旗に描いて掲げよう」といったのです。
武将たちは、永楽通宝を描いた旗を担ぎます。
実はこの永楽通宝の家紋は、敵方の北条家の重臣・松田憲秀が使っていた紋だったのです。
攻め込んできていた、北条軍も「ん?なんで松田憲秀がいるんだ?裏切りか!?」と混乱しました。
その隙をついて真田家は逃げて難を逃れたのです。その幼い幸村の活躍っぷり由来して、永楽通宝を6つ並べた「六文銭の家紋」を使うようになったとのことです。
また、別の説として、ただの願かけ、気合入れのようなもの説も。
六文銭は仏教の「三途の川の渡し賃」という考えがあるのです。
幸村は六文銭を紋にすることで、「戦では本気で死ぬ覚悟で暴れてやろう」と気合を入れていたのですね。こっちの方が由来としては有力かな?(・∀・)
過酷な人生、苦労人
実は幸村の人生は人質、幽閉の連続だったりするのです。
真田家を守るために父・昌幸の命で、滝川一益、上杉、豊臣らに人質として送り込まれます。
人質と言っても、裏切らない限りはめっちゃ大事にされます。そして幸村は気に入られていたようで、待遇はけっこう良かったようです。
で、関ヶ原の戦い後、幸村一家は山で幽閉されます。
これは、関ヶ原の戦いで西軍(石田三成軍)に味方した幸村と父・昌幸の首をはねようとした家康。
それを東(徳川軍)に味方し奮闘した兄・信之の頼み込みで、幸村の家族は山への幽閉で許されたのです。
その山、九度山での生活はとても貧しく厳しかったそうですが、地元の人達の支援もあり、なんとか生きていたのです。
そんな時、大阪の陣のお誘いがあって、九度山から脱出。戦で華やかに死んだのです。
この時、幸村は49歳だというから、けっこうなおじさんなのですね。
「真田十勇士」はつくり話
「真田十勇士」といえば、群雄割拠の戦国時代、幸村に仕えたとされる十人です。
これはまあ、ふつうにフィクションなんですね。有名どころは、猿飛佐助、霧隠才蔵、清海入道あたりでしょうか。
実際に実在した人物をモデルにしたりもしていたみたいですよ。
まとめ
真田幸村の偉業や人物エピソードについて紹介しました。
家紋については、きっと「三途の川の渡し賃」が由来だと思われますね。いやなんとなく、幼い幸村の知略説などは創作感が満載です。確かな史料もないわけですし。
ということで、真田幸村を語るカンタンなポイントは、
・本名は幸村ではなく、信繁(のぶしげ)
・幸村は人質経験豊富だったり、山に10年以上も幽閉されていたりした
・家紋の意味や由来については諸説ある
・死因は戦死
最後まで読んでいただきありがとうございます^^