ジョルジュ・ルメートルといえば、宇宙のビッグバン理論や膨張宇宙論などを提唱しためっちゃ凄い人です。
あのアインシュタイン博士らをも納得させたりしていて、彼らレベルの偉人なのです。
今回、ジョルジュ・ルメートルのかんたんな経歴、偉業について、わかり易く紹介していきますよ。
ジョルジュ・ルメートル、プロフィール
ジョルジュ=アンリ・ルメートル(Georges-Henri Lemaître)
出身地:ベルギー
生誕:1894年7月17日
死没:1966年6月20日)宇宙物理学者、天文学者
かんたんな経歴、何した人?どんな人?
ルメートルは、ベルギーのシャルルロワで生まれました。
イエズス会(キリスト教の修道会)の学校で学んでいました。
そして17歳で、ルーヴェン・カトリック大学の土木工学科に入学します。
しかし20歳ころ、第一次世界大戦が始まります。
するとルメートルは、これまで頑張っていた勉強を中断して、ベルギー陸軍に志願しました。
彼はすごく活躍して、戦争が終わると「戦功十字章の叙勲」を受け取りました。
その後、彼はまた勉強に夢中になりました。
物理学と数学を猛勉強し、それと同時に「司祭職(キリスト教における段位のひとつ)」になろうとしていたため、そっちの準備にもとりかかりました。
そして29歳ころに司祭になりました。
その司祭になる準備中も、彼の勉強のモチベーションはさがりません。
司祭になる3年くらい前から、アインシュタイン博士の「相対性理論」を勉強し、その後これを完全にマスターしました。
この相対性理論を完全にマスターってかなりすごいんですよね。
いま現代でも、完全にマスターしてる人って全世界で数人しかいないそうですよ。
で、その後は好奇心を全開にさせひたすら勉強、研究に取り組みました。数々の功績をあげ、次第に認められ、業界では有名にもなってきました。
33歳ころ、彼は「宇宙は膨張している」という新しい考え方を提唱しました。
しかし、これにあのアインシュタイン博士は反対。
ルメートルのことは認めていたのですが、この考えだけは受け入れなかったのです。
アインシュタイン博士は、「宇宙は不変だ」と信じていたからです。
37歳ころ、ルメートルは科学者が集まる席で「特異点から始まる宇宙膨張説」を提唱。
彼は「宇宙卵が創生の瞬間に爆発した」と表現しました。
これがつまり、いまでいうビッグバン理論です。
この説は業界で凄まじい激震をあたえました。
当然反対派もいました。
アインシュタイン博士も最初は反対でした。
理由のひとつは、ルメートルのこの考えは、キリスト教の「天地創造」を思い切り感じさせるものだったからです。
当時は、物理学としてはとても認められないとされてしまっていたのでした。
しかし、アインシュタイン博士はルメートルの講義をきいて考えを改めます。
ルメートルが39歳ころ、セミナーでこの「宇宙膨張説」を詳しく説明しました。
するとアインシュタイン博士は立ち上がって大きな拍手をおくり、「この理論は私が今までに聞いた中で最も美しく納得の行く説明です」といいこれを認めました。
アインシュタイン博士は、宇宙膨張論を受け入れるのが遅くなったことを「生涯で最大の過ちであった」と語っています。
その後の人生も、彼の好奇心は衰えません。
司祭としても活躍、研究者としても世界的に数々の賞を受賞し、完全に偉人となりました。
偉業は?
ルメートルの1番の偉業といえば、「宇宙膨張論」を提唱したことでしょう。
それが現代のだれでも聞いたことがある「ビッグバン理論」の元なのです。
なぜルメートルという名前が一般的にあまり有名でないのかというと、彼は名誉や人の目をほとんど気にしなかったからだといいます。
彼は自身の論文も考えも、世間に広く公開することにこだわりませんでした。
それよりも、「宇宙の始まりは?」という問題に夢中で、全神経をそれに集中させていたのです。
ふつうに彼は一般的にだれでも知っているような、アインシュタイン博士や発明王エジソンらと同レベルにすごい人なのです。
まとめ
ということで、
ジョルジュ・ルメートルを3分で!ビッグバン理論を提唱した人?でした。
・「宇宙膨張論」を提示した人!
・「宇宙膨張論」=「ビッグバン理論」
最後まで読んでいただきありがとうございます^^