前田利常(まえだとしつね)といえば、優秀な大名ですね。
あの前田利家の息子で、いろんな大名たちからも一目置かれていたすごい人です。
今回、前田利常のかんたんな経歴、鼻毛のバカ殿って?などの逸話エピソードを紹介していきますよ。
前田利常、プロフィール
名前:前田利常(まえだとしつね)
出身地:加賀(石川県)
生誕:1594年1月16日
死没:1658年11月7日
享年:66歳
時代:安土桃山時代-江戸時代
かんたんな経歴、何した人、どんな人?
1594年、前田利常(まえだとしつね)は、加賀藩(現・石川県)に生まれました。
父は、あの有名な前田利家。母は側室の千代保(寿福院)です。
利常の幼いころは、前田長種のもとで育てられました。
そのため、父・利家と初めて会ったのは、父の死の前年(1598年)で、利常は4歳でした。
守山城(富山県)を訪ねたときのことで、父・利家はまだ幼い利常を気にったそうで、刀を大小2本あげたといいます。
6歳ころ、「浅井畷の戦い」のあと、小松城の丹羽長重(にわながしげ)の人質となりました。
人質のころに、城主・丹羽長重が自ら梨を剥いてあげたことがあったといい、利常は梨を食べる度にこの話をしたそうです。
その年、長男・利長の養子となりました。利長には跡継ぎがいなかったためです。
そして、第2代将軍の徳川秀忠の娘・珠姫を妻に迎えました。
この時珠姫は3歳でした。
この、「徳川家の娘を嫁にもらった」という事実は、その後の前田家全体にとっても、とても重要な意味を持つことなのです。
20歳ころ、1614年の「大坂冬の陣」に徳川として参戦しました。
このとき、あの真田信繁(真田幸村)と戦いました。真田丸の戦いです。
結果は、前田軍の負けでした。
前田軍は、20,000以上の兵がいて、徳川の中でも最大の兵力だったそう。
家康も、大阪城を包囲して、「心理的圧力を加える」だけが目的だったため、家康は利常に攻撃命令を出していませんでした。
しかし、利常は「手柄が欲しい!」と焦り、勝手に独断で真田丸に攻撃したのです。
その結果、多数の死傷者をだして敗北したのでした。
そして、「大坂夏の陣」では、家康から先鋒を命じられました。
すると今度は勝利。
前田軍15,000人は、大野治房軍4000人と戦い、苦戦しながらも勝利したのです。
ここで、戦の最中に、前田軍中から「大阪城の味方をするように!」との声が起こったそうですが、利常はまったく取り合わなかったのだといいます。
利常が国を治めている時は、凄腕すぎるがために、徳川幕府からかなり警戒されていました。
それでも、120万石の家領を保ったのです。
政治面でもかなりのやり手で、「治水」や「農政事業(十村制、改作法)」などを行いました。
その見事な政治っぷりは「政治は一加賀、二土佐」と讃えられるほどでした。
1658年10月12日に死去。享年66。
お墓は、石川県金沢市の野田山墓地になります。
逸話、伝説エピソード
前田利常のちょっとしたエピソード。
かぶき者で、肝が座っていたのです。
鼻毛のバカ殿って?
利常が鼻毛をボサボサにして、バカなフリをしていたことは有名です。
利常は、家康からもめっちゃ警戒され、幕府からも「底知れない人」と警戒されていたのです。
だからこれは幕府の警戒をかわすために、わざとバカ殿のフリをしていたのだそう。
見かねた家臣が「鏡をみてください」と手鏡を差し出すも、「おい、これは加州・能州・越中の三国を守り、お前たちを安泰に暮らさせるための鼻毛じゃ」と一蹴してみせたのです。
キ○タマをお披露目?
利常が病気でしばらく寝込んでしまいました。
そして復活すると、酒井忠勝(さかいただかつ)に皮肉を言われました。
すると利常は、「疝気でここが痛くてかなわぬゆえ」と、満席になった殿中で、キ○タマ晒してみせたというのです。
肝が座ったお人です。(・∀・)
「小便禁止」に小便かける!
江戸城の中に「小便禁止。違反したら黄金一枚の罰金」と札が立てられました。
それをみた利常は、「大名が黄金惜しさに小便を我慢するものか」と言い、札に向かって小便をしたといいます。
これはちょっとかっこいいです。
妻の仇を拷問で殺す?
利常の行った、拷問の蛇責めについて。
利常と正妻の珠姫は、とても仲良しでした。
しかし、珠姫は、自身の乳母のせいで死んでしまうのです。
珠姫の乳母は江戸幕府の人間です。
前田に幕府の情報が筒抜けになるのを恐れた乳母は「珠姫と利常を会わせてはいけない」と思って、出産直後の珠姫を隔離するのです。
会いたいけど会えない利常。
なんの事情も知らない珠姫。
珠姫は「あの人(利常)が会いに来てくれないのは、私の事はもう好きじゃないんだわ」とショックで衰弱し、そのまま亡くなってしまったのです。
亡くなる直前、強引に駆けつけた利常は、珠姫の遺言からすべてを察知。
ブチギレの利常は、その原因をつくった乳母を蛇責めにして殺したのだといいます。
蛇責めとは、蛇の入った樽に罪人を入れる拷問。
蛇を興奮させ、人を噛ませ、その毒で人は死ぬのだといいます。
まとめ
ということで、
5分で前田利常!鼻毛のバカ殿ってどういうこと?でした。
前田利常をかんたんに語るポイントは、
・他の大名からも一目置かれる、肝の座ったかぶき者だった!
・関ヶ原の戦いや、大坂の陣で活躍した!
・鼻毛でバカ殿のフリをしていた!
最後まで読んでいただきありがとうございます^^