歌川広重を5分で!スカイツリーを予言していた?代表作品は?

歌川広重(うたがわひろしげ)といえば、江戸時代の浮世絵師ですね。

「東海道五十三次」を描き、世界にジャポニズムを引きおこしたすごい人です。

今回、歌川広重のかんたんな経歴スカイツリーを予言していた?について代表作品は?について、紹介していきますよ。

 

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歌川広重、プロフィール

名前:歌川広重(うたがわひろしげ)
本名:安藤重右衛門(あんどうじゅうえもん)
出身地:江戸(現・東京都千代田区)
生誕:1797年
死没:1858年10月12日
享年:61歳(死因 コレラ)
時代:江戸時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

1797年、歌川広重(うたがわひろしげ)は江戸の八代洲河岸(やよすがし)に生まれました。

八代洲河岸は、現在の東京都千代田区丸の内付近で江戸城のすぐ近くです。

 

父は、幕府の役人で消防組織の一員として活躍した、定火消(じょうびけし)の安藤源右衛門です。

火事の多い江戸で、定火消はみんなを助けるヒーローでした。

 

12歳の頃に両親を相次いで亡くし、定火消として安藤家を継ぎしましたが、幼い頃からの絵に対する情熱が冷めずに画家を目指します。

15歳の頃に初代・歌川豊国の弟子になろうとしますが、定員オーバーの為に断られたため、同じ歌川派の歌川豊広の弟子となりました。

 

17歳で、師匠・豊広の広と自分の重右衛門の重をとって広重の名を与えられ浮世絵しとしてデビューします。

デビュー当時は、女性を描いた美人画や歌舞伎役者を描いた役者絵を中心に活動していました。

 

24歳で、同じく定火消の岡部弥左衛門の娘と結婚。

26歳で、家督を養祖父方の嫡子・仲次郎に譲りました。

しかし当時、仲次郎がまだ8歳と幼かったことから、広重は浮世絵師として絵を描きながら、ときどき定火消の仕事もしました。

 

31歳のときに、風景画「東都名所」を発表しました。

この風景画へのチャレンジこそが、のちに世界の広重となったきっかけでした。

 

35歳で、幕府から御馬進献の使に任命され京都へ旅に出ます。

この旅が広重の大ヒット作となった「東海道五十三次」を生み出しました。

 

また仲次郎の成人を機に定火消を完全に譲り、広重は浮世絵師としてより一層の創作活動に集中します。

その後も浮世絵師としての高い人気を誇り、歴史画や春画など数多くのジャンルを手がけ、生涯で2万点に及ぶ作品を残しました。

 

1858年(安政5年)8月に、感染症のコレラが日本で大流行しました。

コレラによる死者は江戸でも10万人以上出たと言われ、広重もコレラによって61歳で亡くなってしまいました。

 

東海道五十三次って?他に代表作品は?

川広重の代表作品として有名なのが「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」です。

これは、歌川広重が1832年に、「御馬進献の使(天皇へ馬をプレゼントする役目)」を幕府から任され、京都に旅にでたときのこと。

その道中の宿、江戸の日本橋を出発して、東海道を通って天皇がいる京の三条大橋までの53の宿場が描かれています。

中でも特に、今にも雨音が聞こえてきそうな「庄野宿(しょうのじゅく)」、客引きの必死さが伝わる「御油(ごゆ)」は、広重の名作と言われています。

こんな感じ。

画像・「庄野宿(しょうのじゅく)」

 

画像・「御油(ごゆ)」

ちなみに53ヶ所の宿場が描かれているので、53枚と思われがちですが、スタートとゴールの景色も描かれているので全部で55枚の絵となっています。

他にも「近江八景」「名所江戸百景」など数多くの作品を残しています。

 

た広重の作品は、海外で構図と特に藍色が美しいと評判になり、その藍色はジャパンブルーとも、ヒロシゲブルーとも呼ばれました。

またこの広重の人気が高まりジャボニズム(日本好み)を引き起こしました。

フランスのモネや、オランダのゴッホに大きな影響を与えたとされ、日本の偉大な画家として世界的に有名です。

 

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スカイツリーを予言していた?

川広重がスカイツリーを予言していたという説があります。

これは、歌川広重ではなくて、歌川国芳(うたがわくによし)という、同じく歌川派の人物の作品からでた伝説です。

その彼の作品の中に、200年後の江戸の街を予言していたかのような浮世絵「東都 三ツ又の図」があります。

「東都 三ツ又の図」には、当時の江戸末期には存在しない高層タワーが描かれており、その高層タワーがまるで東京スカイツリーに見えるのです。

画像・「東都 三ツ又の図」

また描かれた場所も隅田川付近ということから、国芳が時代とともに移り変わる景色を予言していたかのようにも思えるのです。

現実的に、スカイツリーじゃない?と思える高層タワーは「やぐら」とされていますが、約200年後の未来には大きなやぐらが存在すると想いを馳せて描いていたのかもしれません。

 

歌川と言えば、圧倒的に広重の存在が大きく、これも広重が描いた作品だと、勘違いした人がいるようですね。

 

まとめ

ということで、
歌川広重を5分で!スカイツリーを予言していた?代表作品は?でした。

安藤広重をかんたんに語るポイントは、

・江戸幕府の定火消としても活躍していた

・世界的画家のモネやゴッホに影響を与えた

・世界にジャポニズムを引き起こした

・東海道五十三次は、55枚の作品だった

・スカイツリーの予言は同じ歌川派の国芳だった

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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