遠山景元を5分で!庶民の味方どころか庶民の娯楽を奪っていた?

遠山景元(とうやまかげもと)といえば、江戸北町奉行を勤めて、庶民からも支持されていた名奉行と言われている幕臣(幕府の役人)ですね。

『この桜吹雪が全て、お見通しなんだよ!』の名台詞でテレビ時代劇や映画で有名な『遠山の金さん』は遠山景元がモデルになっています。

今回、遠山景元のかんたんな経歴庶民の味方どころか庶民の娯楽を奪っていた?について、桜吹雪の入れ墨は事実?などについて紹介していきますよ。

 

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遠山景元、プロフィール

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遠山景元(とうやまかげもと)

生誕 1793年9月27日(寛政5年8月23日)
死没 1855年4月15日(安政2年2月29日)
享年 63才
時代 江戸時代後期
墓所(東京都豊島区巣鴨五丁目・本妙寺)

 

かんたんな経歴

山景元も幕臣だったので、幕府の役職を歴任しています。

ここでは、遠山景元のかんたんな経歴、履歴書を紹介していきますよ。

 

1825年(文政8年)32歳。 小納戸役(将軍のお世話係)に就任。

1832年(天保3年)39歳。 従五位下大隅守に任じられる。

1834年(天保5年)41歳。 小納戸頭取(将軍のお世話係のリーダー)に就任。

1835年(天保6年)42歳。 小普請奉行(江戸城や徳川家菩提寺の建築、修繕の監督)に就任。

1836年(天保7年)43歳。 大隅守から左衛門少尉に任命される。

1837年(天保8年)44歳。 作事奉行(幕府による造営や修繕事業の監督)に就任。

1838年(天保9年)45歳。 勘定奉行(幕府の財政を預かる最高責任者)・公事方(裁判所と警察を管理する)に就任。

1840年(天保11年)47歳。北町奉行に就任。

1843年(天保14年)50歳。大目付に就任。

1845年(弘化2年)52歳。 南町奉行に就任。

1852年(嘉永5年)59歳。 南町奉行を辞職。

 

徳川時代に南北両奉行を勤めた例はほとんどなく、それだけ奉行職が向いていた人物だったんですね。

 

庶民の味方どころか庶民の娯楽を奪っていた?

「遠山の金さん」で、庶民の味方として活躍する遠山景元。

そんな彼は、庶民の味方どころか庶民の娯楽を奪っていた?と言われています。

しかし実際には、ほんとうに庶民の味方でした。

 

遠山景元が北町奉行に就任した当時は、老中・水野忠邦(みずのただくに)による天保の改革の真っ最中でした。

水野は、無駄遣いはダメ!と町人達の贅沢やお洒落を禁止する法令を出しましたが、景元は町人の自由を奪うような極端な法令にはことごとく反対しました。

景元は水野に、「町人は贅沢やお洒落は禁止なのに武士には適用されていない」ことを指摘して、町人への禁令を和らげるよう求めました。

しかし、これは聞き入れられず仕方なく景元は贅沢取り締まり令を出しました。

 

また、水野は寄席や興行(芝居や露店商)の全面禁止を実行しようとしましたが、景元は芸人の失業や町人の娯楽を奪うとして、これにも強く反対しました。

寄席や興行の全面禁止は和らぎましたが、結局禁止令は出されて寄席や興行は一部にしか残されませんでした。

しかし、この景元の老中水野忠邦への反対姿勢に感謝した芝居関係者が、景元を題材にした『遠山の金さん』を公演しました。

 

これが現代の『遠山の金さん』のヒーロー化への土台となりました。

つまりは庶民の味方、ヒーローなのです。

庶民の娯楽を奪っていたのは、水野忠邦だったのですね。

 

景元は亡くなってから町人の味方、正義のヒーローへとなっていった?

元の死後、講談や歌舞伎で『遠山の金さん』のイメージや台詞のパターン化が完成し、現代では大岡忠相(大岡越前)と人気を二分する名奉行とされています。

しかし、実際に名裁きをした記録は残されていません。

ただ、景元は公事上聴(将軍同席での裁判)で、徳川第十二代将軍・家慶(いえよし)から、「裁判の見本である」と絶賛されているように、名裁きの奉行だったのは事実のようです。

正式は記録はないですが、徳川将軍がそういうのならほんとうに名奉行だったのでしょうね。

 

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景元は入れ墨があった?

山景元には『遠山の金さん』のように入れ墨があったのでしょうか?

実はこれははっきりとしたことはわかっていません。

子孫の方々は否定されているみたいですが、入れ墨をしていた可能性はあるそうです。

若い頃は複雑な家庭環境だったため、遊び回っていました。

そのときに遊び半分で入れたとも言われてしますが、映画やテレビのように背中から腕まで入っていたかどうかはわかっていません。

また、景元は袖がめくれ上がるのを極端に嫌ったそうで、これは腕に入っている入れ墨を隠す癖だったとも言われていますね。

 

まとめ

ということで、
遠山景元を5分で!庶民の味方どころか庶民の娯楽を奪っていた?でした。

 

遠山景元について、かんたんにまとめると、

・奉行時代には不本意ながら、町人達の贅沢や娯楽を奪う法律を出した。

・南北両奉行を勤めるほどの名奉行だった。

・入れ墨に関しては事実かどうかは不明だが、入れていた可能性は否定できない。

・町人に扮して、事件を解決する『遠山の金さん』ほどではないが、土台になるような事実はあった。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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