徳川吉宗を知る!身長180cm説、性格はマジで暴れん坊将軍だった?

徳川吉宗(とくがわよしむね)といえば、江戸幕府8代将軍で、将軍の中でも人気が高く、時代劇でも描かれていますね。

今回は、徳川吉宗のかんたんな経歴身長180cm説性格は本当に暴れん坊だったのかについて紹介します。

 

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徳川吉宗、プロフィール

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名前 徳川吉宗(とくがわよしむね)
出身地:紀州藩(現・和歌山県)
生誕:1684年11月27日
死没:1751年7月12日
享年:68歳(死因・脳卒中)
時代:江戸時代中期

江戸幕府8代将軍

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

1684年に徳川御三家の紀州徳川家に生まれました。

父は、紀州徳川家2代目の徳川光貞(とくがわみつさだ)で、母は側室の由利(浄円院)です。

父の徳川光貞は文武両道を貫く人だったことから、吉宗も多大な影響を受けていたらしいです。

 

紀州徳川家とは、徳川御三家の一つであり、万が一徳川将軍家に跡継ぎがいない場合に将軍職を継ぐというルールがありました。

当時、7代将軍・家継はわずか8歳でこの世を去ってしまい、そんな訳で、吉宗が徳川8代将軍となったのでした。

ちなみに吉宗の曾祖父が家康、わかりやすく言うと吉宗のおじいちゃんのお父さんが家康ということになります。

 

代将軍に就任すると、次々に色んな事をしてくれます。

まずは貧乏になっていた江戸幕府を救うあの有名な「享保の改革」です。

当時、政治を仕切っていた新井白石をすぐさまにクビにして、自らが政治の実権を握ります。

そして吉宗自身が将軍とは思えない節約生活を実施し、幕府を立て直すのでした。

 

また庶民の意見を直接聞こうと目安箱」を置きました。

現代風に言うと、将軍プライベートのSNSアカウントをみんなに公開した感じでしょうか?

その他にもわかりやすい裁判と処罰を取り入れるための「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」や、庶民が安心して医療サービスを受けられる無料の「入院施設(小石川養生所)」も作っちゃいました。

吉宗が現代でも人気なのもうなずけますね。

 

 

身長180cmってほんと?

川吉宗の身長は180cmだったという説があります。

よく時代劇や歴史エピソードで語られる吉宗は、暴れん坊のイメージのせいか、体が大きい気がします。

頼りがいがあって、丈夫で健康そうな感じ・・・

でも、この説はどうやら違くて、デマみたいです。

 

徳川家の遺骨学術調査によると身長は155cmとなっています。

そしてそれを裏付けるのが徳川家菩提寺にある位牌です。

この位牌のサイズは、亡くなられた時の身長と同じとされているからです。

 

ぜ、身長180cm説ができたかは、吉宗の偉大な功績を評価して、より大きな人物だったと印象付けるために作られた話のようです。

残念ながら、吉宗の身長は180cmではなく、155cmでした。

当時の男性の平均身長が155cmほどなので、まあ平均くらいだったのですね。

 

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性格はほんとうに暴れん坊将軍だった?

れん坊将軍ってドラマがあったくらいですから、性格はさぞかし暴れん坊と思いきや、どうやらニュアンスが違っています。

これまでの将軍たるもの、特に3代将軍家光以降は、世の中が平和過ぎた為に、将軍自身も平和ボケしているような所がありました。

でも、吉宗は違っていました。

 

しっかりと目の前の現実を見て、自らが節約したり江戸の町で火事が起これば屋根に登って様子をみたりしました。

狩に行って捕まえた獲物をその場で食べちゃったりと、周囲がびっくりするような驚きのエピソードが残されています。ワイルドすぎます。

どうやら吉宗は、人を頼ることなくいつも自分が率先して行動することが習慣化されていたことから暴れん坊の名がついたと思われます。

暴れん坊ではないようですが、頼りになる、頼りにするべきリーダーだったのですね。

 

 

まとめ

庶民に優しく、自らも低姿勢な感じが高評価、将軍の中では暴れん坊そして180cmの長身イメージは崩れたってところでしょうか?

やっぱり有名な人気人物だけあって、かっこいいですね。

 

ということで、
徳川吉宗を知る!身長180cm説、性格はマジで暴れん坊将軍だった?でした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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