天才商人・三井高利を5分で!両替商を始め、のちの三井財閥へ

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三井高利(みついたかとし)といえば、商売に新しいアイデアを取り入れて、江戸庶民の心をつかんだ越後屋を作った人です。

そして現在の「三越伊勢丹」と「三井住友銀行」を作った人物ということで、まさに天才商人なのですね。

今回、三井高利のかんたんな経歴両替商や三井財閥について、紹介していきますよ。

 

三井高利、プロフィール

名前:三井高利(みつい たかとし)
身地:伊勢国松阪(現・三重県松阪市)
生誕:1622年
死没:1694年5月29日
享年:73歳(病死)
時代:江戸時代

 

かんたんな経歴、何した人、どんな人?

1622年、三井高利(みつい たかとし)は、伊勢国松坂(現・三重県松阪市)に、父・三井高俊(みつい たかとし)と母・殊法(しゅうほう)の4男として生まれました。

ややこしいですが、お父さんも同じ「たかとし」で、字が違います。

高利のおじいちゃんは、三井越後守高安(みついえちごのかみたかやす)という武士で、近江の六角氏(ろっかくし)に仕える武家でした。

が、織田信長の天下統一で六角氏は滅び、父・高俊は武士を辞め、酒屋と質屋を始めたのです。

 

利は14歳になると、江戸で小間物屋(日用品店)を営む兄・俊次の店で修行をします。

自分の店を持つ事を夢みて、商売のノウハウを学び熱心に働きました。

そんな高利をみた兄・俊次は、高利の商人としての才気溢れる成長ぶりに驚き、恐れを抱くようになります。

そして、母の面倒を見ることを理由に実家に帰し、店を追い出したのです。高利28歳の時でした。

 

松坂に戻った高利は、妻・かねと結婚し子宝にも恵まれます。

このときもまだ、江戸で店を持つ事を諦めずに、家業を拡大していきました。

 

52歳の高利は、兄・俊次の死をきっかけに江戸に店を開きます。

これが「三井越後屋呉服店」(越後屋)で、おじいちゃんの名前に由来します。

 

越後屋は、これまでにない新しい販売方法で、たちまち庶民の人気になりました。

人気の秘密は、安い価格設定と商品を売る分量です。

他の呉服店仲間が嫉妬して、越後屋の店先に糞尿を撒かれるほどの人気でした。

 

れまでの呉服屋は、お店がお客の家に行き商品を売ります。

売る量は、1反(着物1着分)単位で、値段もお客との交渉次第だったのです。

代金の支払いは、年2回のお盆と暮れに集金に行きます。

集金に行っても払って貰えない事もあり、値段は高くなりがちでした。

 

一方、越後屋は、商品の値段(定価)を決めておいて、お客様にお店に来てもらい、代金はその場で支払ってもらいます。

越後屋の値段は安いので、お客は喜んですぐに代金を払ってくれました。

そして1反単位ではなく、お客の欲しい分だけを売るようにしたのです。

 

後屋の評判の良さは、幕府にも届き、幕府御用達の呉服店となります。

幕府御用達となってからは、呉服店仲間からの嫌がらせは無くなりました。

越後屋への嫌がらせ=幕府への嫌がらせ、とみなされてしまうからです。

 

の後、さらに両替店を開きます。

この両替商が、のちの三井銀行、現在の三井住友銀行となっていくのですから壮大です。

現在の三井グループ(三井財閥)の元をつくった人物として有名ですね。

そして幕府へ公金為替制度を提案し、後の三井財閥となる越後屋と両替商を、さらに万全な体制に築いていきました。

晩年、高利は三井家の更なる発展の為に家訓を残し、73歳の生涯を終えました。

 

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両替商ってどんなもの?

井高利の両替商とはどんなものなのでしょうか。

この両替商は、後の三井銀行、現在の三井住友銀行となっています。

ちょっと簡単に紹介してみましょう。

 

62歳の時、高利は江戸と京都に両替店を開きました。

江戸時代のお金は、金・銀・銭(ぜに)の3種類がありました。

幕府が定めたレートは、「金1両」=「銀60匁(もんめ)」=「銭4千文:四貫文」です。

商品によって、金・銀・銭で払うものがあり、それぞれ単位の数え方も呼び名も違い、少し複雑で面倒でした。

元禄バブルにより、庶民の間でも経済活動が活発となり、この金・銀・銭の両替をして、手数料をもらう商売が成立しました。

他にお金を預かったり、貸したりと現在の銀行のような要素も持っていました。

当時では、画期的な商売だったのですね。

 

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他にどんな商売をしていた?

利のしていた商売は、「越後屋」「両替商」が有名です。

でもやっぱり他にも商売をしていました。

 

つは、「諸国商人売(しょこくあきんどうり)」です。

これは、日本各地の呉服屋に反物を売るスタイルです。

利益は少なくても、安定的にそして大量に買ってもらうこと狙い、一般庶民だけでなく(小売)、同業者への販売(卸売)をしました。

 

う1つは、「為替方御用」です。

大坂の大阪御用金蔵のお金を、60日後に江戸城に納めるという公金為替制度です。

元禄バブル効果で、庶民の経済活動が活発であれば、幕府はもっと効率よくお金を動かす必要がありました。

幕府は、各藩から大坂に集められた米や特産物(年貢)を大坂商人に売り、現金の収入を得ていました。

大坂に集められる理由は、商人がたくさん集まる場所なので米や特産物が高く売れるからです。

 

幕府の現金は大坂にあり江戸に運ぶ必要がありました。

一方で高利の越後屋は、江戸で商品を売り、現金が江戸にあります。

仕入先が京都にあったので、お金を京都に運ぶ必要がありました。

つまり、越後屋と幕府のお金は反対に動くのです。

江戸では、越後屋の売上を幕府へ、大坂・京都では幕府の売上を越後屋へというシステムを幕府に提案したのです。

幕府は、人手も時間も掛けずに、安全に現金を受け取ることができ、越後屋は、60日間お金を運用し、更なる利益を生み出しました。

 

まとめ

天才商人・三井高利を5分で!両替商を始め、のちの三井財閥へでした。

三井高利をかんたんに語るポイントは

・兄に才能を恐れられるほど、商売上手だった

・越後屋の販売スタイルは江戸庶民の心を掴んだ

・両替商として、幕府の公金為替制度を提案した

・越後屋は三井財閥へ成長した

・現在の「三越伊勢丹」と「三井住友銀行」を作った

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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