和宮を5分で!替え玉説や左手がなかった説?家茂の写真抱いて棺桶に?

和宮(かずのみや)といえば、名前は有名なのではないでしょうか。

孝明天皇の妹で、江戸幕府の最後から2番目の将軍、家茂に嫁いだ女性ですね。

彼女の左手がなかった説やちょっと不思議な替え玉説棺桶で抱いていた写真が家茂の写真説もあるので紹介していきますよ。

 

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和宮、プロフィール

Kazunomiyas

和宮(かずのみや)
生誕:1846年7月3日
死没:1877年9月2日
享年:31歳
時代:江戸時代-明治時代

 

和宮ってどんな人物?なにをした?

和宮は、世界の平和のために将軍・家茂と結婚し、徳川家のために力を尽くした人です。

和宮の経歴を流れでカンタンに紹介していきますね。

 

和宮の経歴

和宮は江戸時代、孝明天皇の妹として京で生まれました。

和宮が15歳のとき、当時の幕府の実質ボスであった井伊直弼が暗殺され、世の中が荒れかけます。

そこで、世の中を安定させる目的で、朝廷と幕府が協力するために、朝廷からは和宮と、幕府からは14代将軍・徳川家茂が結婚することになりました。政略結婚というやつですね。

 

実は和宮は、ほかに結婚を約束していた人がいたのだそう。

乙女心は、権力によっておしつぶされました。

でも家茂は、和宮にたびたび贈り物をしたり、和宮に尽くします。和宮の心をやわらげることができたのです。

和宮は覚悟を決めて京へ出発しました。

 

最初は、政治のために結婚させられたふたりだったのですが、やがて愛し合うようになります。

家茂が戦のために関西へ向かうときは、和宮は神社に何度もお参りをして無事を願ったりします。

が、家茂は急死。結婚生活は4年間で終わりました。

 

その後、最初は仲の悪かった篤姫(前将軍・家定の妻)とも、気持ちは通じ合い、最後は協力して、徳川家がつぶされないように力をつくしたのでした。

和宮の人生は、「世界の平和のために将軍・家茂と結婚し、徳川家のために力を尽くした」立派な人生だったのです。

 

 

左手がなかった説?替え玉説?

和宮には、左手がなかった説と、替え玉説があります。

いっしょに見ていきましょう。

 

左手がないと言われる由来として、

「1」肖像画では、左手がいつも隠れている

「2」昭和33年の「和宮の墓地発掘調査」で、左手の遺骨が見つからなかった

とのこと。

 

「1」ですが、確かに和宮の肖像画では左手が隠されていますね。

こんな感じ・・・。

Kazunomiyas

 

しかし明治に撮った、洋装の和宮の写真には両手が写っているので「アレ???」となります。

こちら。
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あるじゃん。(・∀・)

 

 

しかし、ここで替え玉説が邪魔をします。

京で生まれた和宮は、もともと結婚を約束していた人がいたのだそう。

そのためどうしても江戸には行きたくなくて、江戸に替え玉を送ったというもの。

だから、明治に撮った写真は本当の和宮ではなく替え玉。偽物。だから左手が写っている。

ということですね。(・∀・)

まあ、完全な憶測でしかないわけです。

 

で、「2」の、昭和33年の「和宮の墓地発掘調査」で、左手の遺骨が見つからなかったという話。

遺骨に左手がないんじゃ、本当になかったんじゃない?ってなりますよね。

 

ここでも替え玉説。

遺骨が替え玉で和宮ではないというもの。

 

 

その発掘調査では、

・左手が無い。

・髪の毛のDNAが違う。

などの違和感がありました。

てか、DNAが違うってもう完全に別人なんじゃ・・・?(・∀・)

 

当時の江戸時代でも、嫁ぎにきた和宮は替え玉だという噂があったようです。

それでも当時は人は、「われわれには替え玉であっても本物であっても変わらない、和宮が幕府方に嫁いだという事実が大切なのだ。」と言っていたといいます。

当時は、幕府嫌いな商人とか多くて、天皇側の命令なら従うという民もいたんだとか。

それなので、替え玉でも何でも上手くやってくださればいいですよということですね。

 

確かに左手がなかったと史料に残っているわけでもないし、確証があるわけではないのです。

好き勝手に憶測できたりするところが、れきしの面白いところですよね。(・∀・)

 

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棺桶で家茂の写真を抱いていた?

なんとも素敵な話です。

和宮の棺桶から、若い男性が写った当時の写真がみつかったのです。

その若い男は、長袴の直垂に立烏帽子を被って立っていたそうで、調査団は「これは家茂に違いない!」とワクワクしました。

 

しかし、保存状態が非常に悪い状況で見つけたことと、その後の保存処理が悪かったため、発見した翌日には、ただのガラス板になってしまったのです。

調査団は、明日に備え写真の写ったガラス板を台の上に置きっぱなしにして帰ったのです。

調査団はめっちゃくちゃ落ち込んだそうです。最大の収穫が最大の損失となったのでした。

 

 

まとめ

和宮の左手がなかった説、替え玉説、棺桶での家茂の写真について紹介しました。

生き様は最後まで、徳川家のために力を尽くしたということでかっこいいですよね。

左手なかった説や替え玉説は、結局はっきりしたことはわからないですが、やっぱりロマンがあります。

棺桶の写真については本当に残念でした。技術が超進歩すれば、復元できる日がくるかもしれないですね。

 

ということで、和宮をカンタンに語るポイントは、

・徳川家茂と政略結婚し、その後、徳川家に尽くした

・左手がなかった説がある!

・替え玉説がある!

・棺桶で家茂の写真を抱いていた!

 

こんな感じでどうでしょう。(・∀・)

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