大正時代

5分で吉田茂について!何した人?エピソードについて

吉田茂(よしだしげる)といえば、政治家で、元の内閣総理大臣ですね。

何もかも失ってしまった戦後の日本を、抜群のユーモアでどん底から救い、政治経済を復興させた和製チャーチルともよばれた凄い人です。

今回、吉田茂のかんたんな経歴何した人?エピソードについて、紹介していきますよ。

 

吉田茂、プロフィール

名前:吉田茂(よしだ しげる)
出身地:東京府神田駿河台(現・東京都千代田区)
生誕:1878年9月22日
死没:1967年10月20日
享年:89歳(心筋梗塞)
時代:明治時代-大正時代-昭和時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

田茂(よしだしげる)は、土佐藩士の父・竹内 綱(たけうち つな)の5男として、東京神田駿河台(現・東京都千代田区)に生まれました。

茂が生まれたころの日本は、明治維新を迎え西南戦争が起こった激動の時代です。

父は、その西南戦争で西郷隆盛の手助けをしたとして、反政府活動を理由に長崎で逮捕され獄中にいました。

そこで母は、父の大親友・吉田健三の元で茂を生みます。

 

歳の時に吉田家の養子となりました。

実母・瀧は芸者で、詳しい身元などはわかっていません。

養父・健三は、元福井藩士で様々なビジネスを手がける実業家として大活躍していました。

 

小さいときは、義母が教育熱心で厳しかったこともあり、いくつもの学校で勉強をがんばります。

将来は養父の跡を継ぎ、商売人になる事を期待されていました。

が、11歳の時に養父が亡くなった事もあり、茂は国際舞台で活躍する外交官になりたいと思うようになりました。

 

1906年、28歳で、東京帝国大学(現・東京大学)を卒業。

そのあとは外務省に入り、領事官補、そして外務次官として主に中国やイギリスで活躍しました。

このころ、大久保利通の孫娘・雪子と結婚します。

 

1936年、58歳ころ、順調に出世コースを歩み外務大臣候補となりました。

が、戦争を大反対していた茂は、陸軍からの強い反対に合い、イギリス大使として活躍することになりました。

しかし、その後の日独伊(日本・ドイツ・イタリア)三国同盟により、日本とイギリスの関係が悪化し帰国しました。

定年で外務省を退官。

また、この頃に妻・雪子を病気で亡くし、悲しみました。

 

そんな日々の中で、強く反対していた第2次世界大戦が始まってしまいます。

茂は、同じく戦争を反対する鳩山一郎(はとやまいちろう)らと、和平への道を歩む内閣を作ろうとした事がバレて逮捕されてしまいました。

この逮捕されてしまうほどの戦争反対の意思が、後にGHQから好意を持たれ信頼を得ることになります。

 

1945年、67歳ころ、終戦を迎え、連合国との交渉が始まりました。

日本は、連合国からの要求を受け入れつつも、日本の立場を少しでも有利に導く必要があったのです。

そこでこれまでの外交官時代の活躍に注目が高まり、茂が外務大臣になりました。

翌年には、内閣総理大臣になります。

 

連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥と戦後処理をして、日本国憲法をスタートさせました。

これまでの軍事力を否定し平和主義と民主化に向けて、政治経済の復興に力を注ぎます。

 

1951年の73歳ころ、サンフランシスコ講和会議に出席し、平和条約と日米安全保障条約を結び、日本の独立が認められました。

マッカーサー元帥との様々な交渉には、いつも堂々とした態度で臨んだことや、ふくよかな体型と葉巻がトレードマークだったことから、和製チャーチル(イギリスの首相)と親しまれました。

 

1963年、85歳で衆議院解散にともない政界を引退。

そのあと、89歳で心筋梗塞で亡くなりました。

戦後唯一の国葬が執り行われました。

 




人物エピソードは?

ーモアがある人物エピソードについて。

吉田茂はマッカーサーを怒らせたあとに、笑わせてしまうほどの器量の持ち主でした。

ちょっと紹介してみます。

 

1945年8月、敗戦した日本は食糧難で数百万人の国民が餓死してしまう危機的状況にありました。

当時、総理大臣だった吉田茂は、GHQマッカーサー元帥に450万トンの緊急の食糧支援を要求したのです。

吉田:「450万トンの食糧を緊急輸入しないと日本国民はみな餓死してしまう」

これに対し、日本に入ってきた食糧はたったの70万トンでした。

 

しかし、日本では誰一人として餓死者が出ませんでした。

マッカーサーは吉田を問いただしたのです。

マッカーサー元帥:「おい、日本に70万トンの食糧しか渡してないけど、餓死者は出ていないじゃないか、こんないい加減な統計じゃ困るね」

怒っていたのです。

 

この時の吉田が応じた答えが、マッカーサーを大爆笑させたと言われています。

吉田:「それは当然です。だって、日本の統計が正確であれば、大国アメリカと戦争を始めません。それにもし、日本の統計が正確ならば、日本が戦争に勝ったはずだもん」

と言い返したのです。

 

崖っぷちに立たされても、抜群のユーモアセンスを発揮してます。

怒っていた相手を爆笑させる、大物ぶりがうかがえるエピソードです。

 

まとめ

ということで、
5分で吉田茂について!何した人?エピソードについてでした。

 

吉田茂をかんたんに語るポイントは、

・堂々としたビジュアルで和製チャーチルと呼ばれ親しまれた

・様々な政策で戦後の日本を復興し独立させた

・マッカーサーを大爆笑させちゃうほどのユーモアセンスを持っていた

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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りょーま(管理人)
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