武田信玄といえば、赤い着物が特徴的な戦国武将です。
実は信玄はお金がなかったのでお城を建てることは出来なかったのですが、子どもはたくさんいました。
息子もいましたが、その子孫は果たして生き残っているのでしょうか?今回、武田信玄の息子のこと、子孫について解説していきます。
子供は何人?息子、娘の数。
武田信玄、凄まじい力をもった武将だったようですが、子供は何人いたのでしょうか?
息子、娘の数はというと…。
息子 7名
武田太郎義信→自害
武田勝頼
海野信親→出家(お坊さんになる)
武田信之→夭逝(ようせい;幼くして死んでしまうこと)
仁科盛信→戦死
葛山信貞→殺害
武田信清→米沢武田家へ
娘 5名
黄梅院,見性院,真竜院,松姫,菊姫(上杉景勝の妻として有名)
息子と娘の数を合わせると12人います。
ですが上記を見る限り、亡くなってしまったご子息ばかり。
信玄が一応は自分の後継ぎとして認めていたらしいのは、勝頼だったといわれています。
ただし、勝頼は信玄の遺言に翻弄された部分があるとされ、自らの意志で思うように戦いに挑めたわけではなかったようです。
子孫は現在も生き残ってる?
自分は武田信玄の末裔(まつえい)とか子孫とか名乗りつつ、それが取り消されるなど、信玄に関する情報は錯乱しています。
果たして本当のところ、子孫は現在も生き残っているのでしょうか?
結論を言うと、末裔は現在もいる!解説していきますね。
武田信玄に関して有名な事件として、世間を騒がせたのは大正時代にあった武田信玄末裔探し。
歴史をさかのぼり、国のために功績のあった人物を表彰すると宮内省からお達しがあったのですが、従三位を与えるとされたのは甲斐の国で治水や産業の振興に大きく貢献した武田信玄!
信玄はもう死んでいるけれど、その子孫にほうびを与えると言われたのです。
これにより、我こそは信玄の末裔である!と手を挙げる人であふれかえり、やがて信玄ゆかりの地である、山梨県が正当な子孫について調査を開始することになりました。
信玄の子孫がいるとすれば、先に挙がった信親か信清の家系。結果として、江戸幕府もそれを認めていた「信親の家系」が選ばれました。
武田信玄については、こちらの記事でわかりやすく紹介しています。
で、正当な子孫は?
現在、正当な子孫として認められているのは16代の武田邦信さんとされています。
この方は現在67歳で、甲斐の国大使や武田神社の崇敬会総裁を兼任しているそうです。
40歳ほどになる息子さんもいるようです。
武田信玄と血統が続いているかというと、血の繋がりはあるのだそうです。
凄くロマンがありますよね!
まとめ
ちょっとごちゃごちゃしていましたが、結論として武田信玄の“お家”の末裔は現代でもいるということですね。
武田姓がわりと有名な苗字であるせいか、武田信玄の子孫の話は話題になりやすいように思います。
ほんとうに信玄公が自分の先祖だったら、とても強くなったように思えてしまうのも仕方ないかもしれません。
実際に信玄にはたくさん子供がいましたが、殺されてしまったり、信玄自身が自害させるなど長く穏やかに生きた子供はいないようでした。
ということで、
武田信玄の息子、子孫は生き残ってる?でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます^^