江戸時代

5分で杉田玄白について!おもしろエピソード、解体新書ってなに?

杉田玄白(すぎたげんぱく)といえば、オランダの医学を学び「解体新書」というオランダの医学書を和訳し刊行した人ですね。

江戸時代に実際死体の解体現場を見るくらい医学に情熱を注いでいた彼は、かなりおもしろいエピソード満載の人物なのです。

今回、杉田玄白のかんたんな経歴おもしろエピソード解体新書ってなに?について、紹介していきますよ。

 

杉田玄白、プロフィール

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杉田玄白(すぎた げんぱく)
出生地 牛込(東京都)
生誕 1733年10月20日
死没 1817年6月1日
享年 84歳
時代 江戸時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

田玄白は、代々の医家の3代目として生まれ、青年期から医学の修業を行っていました。

1757年に日本橋に開業し町医者になってからは、中川淳庵などの蘭学者(オランダ文化の学者)と交流をはじめました。

 

この時代、人体の解剖図を正確に記載されている書籍はなく、中川淳庵がオランダ商館から借りた「ターヘル・アナトミア」というオランダ語の医学書は彼にとても影響を与えました。

しかしオランダ語で書いてあり本文は全く読めなかったので、中川淳庵と前野良沢と共に「ターヘル・アナトミア」を和訳し解体新書として刊行し将軍家に献上しました。

この解体新書は、まさに杉田玄白の真骨頂ですね。

 




解体新書ってなに?

体新書ってなに?について、かんたんに紹介します。

解体新書とは、ドイツ人の医師が書いた医学書を、オランダ語で訳した「ターヘル・アナトミア」の日本語で翻訳した書籍です。

正確に人体解剖図が書かれていたので日本人の医学に携わっている人たちには衝撃を受けました。

 

前野良沢が翻訳し、杉田玄白が清書をして須原屋市兵衛が刊行した日本で初めての翻訳書です。

杉田玄白が実際に罪人の解剖を見学し、この正確な解剖図に驚き、同じ「ターヘル・アナトミア」を持っていた前野良沢に「これを翻訳しよう」と提案したのが始まりです。

 

体新書は4巻刊行されており、解体図などの図は、別に1冊あります。

解体新書と言えば杉田玄白ですが、その陰ではさまざまな人が翻訳作業などを行っていました。

前野良沢は、翻訳が完全なものではないと出版することに難色を示していたそうです。

なので、解体新書の著者の名前に前野良沢はありません。

 

杉田玄白は、この解体新書が日本の医学の進歩に大いに貢献すると信じ、翻訳が不完全ながら刊行を強行しました。

結果、解体新書が刊行されてからは、前野良沢と杉田玄白は不仲になったそうです。

 




おもしろい人物エピソードは?

田玄白の、ちょっとしたエピソードを紹介します。

彼は医学に精通しているくらい賢いのに、「オランダ語を学ぶのは難しいですよ」と言われたらすぐ諦めてしまうほど打たれ弱いのです。

なのに、人体の解剖を見学する度量はあるのですから人間不思議ですね。

 

また、解体新書は、和訳が完璧ではないと紹介しましたが、ほんとうにけっこうテキトウだったようです。

和訳しているときに「フルヘッヘンド」という単語の意味がわからなかった杉田玄白たちは、他の文献を参考にしながら「うずたかいという意味だろう」とほぼ想像力と推理で進めていったのだといいます。

驚きですよね。(・∀・)

 

まとめ

暗号解読のようにオランダ語を解読して解体新書を刊行した杉田玄白。

その時の事と執筆した蘭学事始には「舵のない船で出向した気分」と書いてあるのですからよっぽど大変だったのでしょう(実際刊行まで4年かかりました!)

この諦めないチャレンジ精神を私たちも学びたいですね。

 

ということで、
5分で杉田玄白について!おもしろエピソード、解体新書ってなに?でした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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りょーま(管理人)
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