関孝和(せきたかかず)といえば、江戸時代の数学者ですね。
数式表現をシンプルにし、問題解法の見通しを立てやすくしたことから後世の数学家にとても影響を与えました。
新しい公式も開発したことで有名で、「算聖」と呼ばれることもあったそうです。
今回、関孝和のかんたんな経歴、円周率をつくった?について、天地明察ってなに?について、紹介していきますよ。
関孝和、プロフィール
関孝和(せき たかかず)
出生地 上野国(群馬県)もしくは江戸
生誕 不明
死没 1708年12月5日
享年 不明
時代 江戸時代
かんたんな経歴、何した人?どんな人?
関孝和の生涯は、あまり知られていません。出生地どころか生まれた年まで不明なのです。
これには理由があり、養子である関新七郎久之が重追放(住んでいた国や事件を起こした国、主要15か国などから追放されること)になったからだと言われています。
関孝和は若くして高度な数学を学び、江戸時代6代目将軍徳川家宣に直参として仕え、西の丸御納戸組頭になりました。
もともと和算とは、中国の真似をしていたのですが、その真似を超え独自に発展するにあたって重要な役割を担ったのが関孝和なのです。
「点竄術」という筆算による代数の計算法を発明し、和残が高等数学として発展するための基礎を作り、暦を作成するにあたり、円周率を小数第11位まで算出しました。
1708年に病に倒れて死去してからも、弟子などの手により関の学統はめざましく発展し算聖として和算家から尊敬されていました。
すごい数学者で、円周率をつくった?
関孝和と円周率の関係について。
彼は、江戸時代に筆算を使って円周率を小数第11位まで計算した天才なのです。
円周率とは古代エジプトで考えられた「円周の長さ÷直系の長さ」であり、すべての円の円周率は同じ数値になります。
超越数と呼ばれる種類の無理数で無限に続く少数です。現在ではコンピューターを使用して小数点以下5兆桁まで計算されています。
ベルヌーイ数という数論において基本的な係数を与える数列を、ベルヌーイ数を発表したスイスの数学者ヤコブ・ベルヌーイより早く発見したとも言われています。
このように関孝和は、数学に関して高度な業績を挙げており、日本を代表する数学者なのです。
天地明察ってなに?
天地明察とは、冲方丁(うぶかたとう・小説家)による日本の時代小説です。
江戸時代前期の天文歴学者である渋川春海の生涯を描いています。
算術や暦を学ぶことが好きな渋川春海は、絵馬に貼ってある算術の問題をことごとく解いた人物がいると知りますが、会うことはありませんでした。
その人物の名前が、関孝和なのです。
この本の中での関孝和は、天才的な数学者で主人公である渋川春海が追いかけていた人物なのです。
人気小説で、漫画家や映画化されました。
関孝和がいなかったら渋川春海は、これほどまでに数学にのめり込むことはせずに貞享暦を作成することもなかったでしょう。
やはり関孝和は、日本を代表する数学者だったようです。
まとめ
数学者にとっては数聖である関孝和。
和算が西洋数学によって廃れてからも、日本数学史上最高の英雄的人物と言われ和算の大家とも称されています。
貞享暦を作成した渋川春海にも影響を与え和算を高等数学として発展させた関孝和の偉業は、現代の数学者にも受け継がれていることでしょう。
ということで、
関孝和を5分で!すごい数学者で円周率を作った?天地明察ってなに?でした。
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