江戸時代

5分でシャクシャインについて!アイヌの差別の理由は?歌にもなっていた?

シャクシャインといえば、江戸時代中期に松前藩と勇敢に戦ったヒーローです。

しかし最期は、悲しい結末で人生を終えることになってしまいます。

今回、シャクシャインのかんたんな経歴アイヌの差別の理由は?について歌にもなっていた?について、紹介していきますよ。

 

シャクシャイン、プロフィール

名前:シャクシャイン(しゃくしゃいん)
出身地:シベチャリ(現・北海道日高郡)
生誕:1606年
死没:1669年11月16日
享年:64歳(謀殺)
時代:江戸時代

 

かんたんな経歴、何した人、どんな人?

ャクシャインは1606年に、シベチャリ(現・北海道日高郡)に生まれました。

蝦夷地(現・北海道)各地にアイヌ民族の集落があり、東側に住む人びとをメナシクル西側に住む人びとをシュムクルといいました。

シャクシャインは、東側のメナシクルのシベチャリに暮らしていたのです。

 

時、メナシクル(東側)のシベチャリと、シュムクル(西側)のハエは、シベチャリ川(静内川)の猟銃権をめぐり、争いが絶えませんでした。

メナシクル(東側)のリーダー・カモクタインが、シュムクル(西側)のリーダー・オニビシに殺害されたため、次はシャクシャインが東側のリーダーとなりました。

 

争いはなかなか決着せずに、シャクシャインがリーダーとなった後も長引きます。

そして、東側のシベチャリと西側のハエの争いに、仲裁に入ったのが松前藩(現・北海道松前郡)でした。

松前藩は、アイヌ民族同士が争っていると特産物の売買が滞ると判断したのです。

 

アイヌ民族と松前藩は特産物の売買する関係にあったのです。

アイヌ民族は鮭や昆布の他に毛皮などを、松前藩は鉄製品や漆器の他に米などを売っていました。

 

松前藩が仲裁に入ったことで、一時的に争いはストップしました。

が、以前リーダーを殺されたシャクシャインは、このまま引き下がれず、西側のハエのリーダー・オニビシを殺害しました。

それほどに争いの溝は深いものだったのです。

 

度は、リーダーを失った西側は、東側との戦いに備えて、松前藩に武器を借りにきます。

しかし、松前藩はこれを拒否しました。

この時に、武器を借りに行った西側のサブリーダー・ウタフが帰りに急病死したことで、アイヌ民族は松前藩に毒殺されたと勘違いしたのです。

この勘違いが、東側・メナシクルと西側・シュムクルを一つにまとめ、シャクシャインをリーダーとしたアイヌ民族の組織が出来上がりました。

 

ャクシャインは、各地に住むアイヌ民族に呼び掛け、松前藩への攻撃を整えます。

アイヌ民族は、特産物の売買に不利な条件が多く、不満をつのらせていたこともあり、アイヌ民族は松前藩を前に一丸となったのです。

これが1669年6月に起きた「シャクシャインの戦い」で、アイヌ民族vs松前藩の争いが起こってしまったのです。

 

シャクシャインたちは弓矢を使い、松前藩は鉄砲を使うこの戦いは、すぐに決着するかに思えました。

しかし戦いを止めようとしない勇敢なシャクシャインをみて松前藩は、戦いの長期化を恐れシャクシャインらアイヌ民族へ和睦を申し入れたのです。

渋々、和睦を受け入れたシャクシャインは、その和睦を祝う宴会の席で、なんと松前藩に騙され殺されてしまいました。

アイヌ民族を一つにし、松前藩と勇敢に戦ったシャクシャインは、64歳でこの世を去りました。

 

当時、松前藩は幕府からアイヌ民族の住む蝦夷地も管轄と見なされていました。

管轄内で問題がおこれば幕府から処分を受けることが予想されたことから、松前藩はこの問題を早く片付けたかったのです。

リーダーを失ったアイヌ民族は、これまで以上に不利な条件で売買を行い松前藩に従わざるを得なくなったのです。

 




アイヌの差別の理由は?

イヌ民族が差別をうけていた理由について。

アイヌ民族の歴史は古く、現在の日本列島と同じように縄文時代にはすでに人が住んでいたとされます。

その後、日本列島には稲作文化が訪れますが、北の大地である蝦夷地は気候の条件などもあり稲作文化はありませんでした。

長い間、狩猟や漁業を中心に生計を立て、松前藩の他に現在のロシアや中国とも特産品の売買を行っていたのです。

 

日本が明治を迎えると、蝦夷地を北海道と名前を変えてむりやり日本の領土にします。

そしてアイヌの人々が住んでいた土地を、本州からの移住者が占有しました。

これまで生計を立てていた狩猟や漁業、そしてアイヌ独特の文化であった刺青や耳輪そして宗教も禁止したのです。

悲しいですが、言語・宗教・服装などの異文化を持った民族を取り除こうとした事が、差別の理由となっているようです。

 




「水曜日のカンパネラ」が歌にした?

楽ユニット「水曜日のカンパネラ」「シャクシャイン」というタイトルの楽曲を発表しています。

北海道のご当地ソングということで、アイヌ語が起源となっている地名や北海道ならではのお土産、そしてシャクシャインが出てきます。

こんな感じですね。

なんともおもしろい曲ですね。(・∀・)

ヒーローシャクシャインは、北海道の歴史を語る上で欠かせない存在です。

 

まとめ

アイヌ民族同士の争いが、松前藩との戦い発展し、和睦と見せかけたのに、命を取られたシャクシャインの人生はあまりにも悲しすぎます。

シャクシャインは、300年の時を経て、現代の音楽シーンに登場するほどに、北海道の歴史や文化を語る上で欠かせないヒーローなのです。

 

ということで、
5分でシャクシャインを紹介!アイヌの差別の理由は?歌にもなっていた?でした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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りょーま(管理人)
れきし上の人物.comの運営者。「かんたんにわかり易く」をモットーに、歴史が苦手な人向けに、記事を作成しています。難しい話は省いて、通説を元に書いていることをご理解の上、気軽に読んでください。m(__)m