江戸時代

松尾芭蕉を5分で!有名な俳句の意味、奥の細道ってなに?

松尾芭蕉(まつおばしょう)の俳句といえば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」なら、みんな聞いたことがあるでしょう。

彼は俳諧師として江戸から東北、北陸、岐阜の大垣まで俳句を詠みながら旅をした有名人です。

今回、松尾芭蕉かんたんな経歴有名な俳句の意味奥の細道ってなに?について、紹介していきますよ。

 

松尾芭蕉、プロフィール

basyous

松尾芭蕉(まつお ばしょう)
出生地 伊賀国(三重県)
生誕 不明
死没 1694年11月28日
享年 不明
時代 江戸時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

尾芭蕉は伊賀国(現在の三重県)で生まれ、19歳の頃から俳句をたしなんでいました。

29歳で初めて句集を上野天満宮に滞納し、伊賀国を離れ江戸に向かいました。

その後、俳人たちと交流し才能を開花させていきました。

 

蕉は、諸国を巡りつつ俳句を詠んでいきました。

その旅行記は、「野ざらし紀行」「冬の日」「鹿島詣」「笈の小文」「更科紀行」に描かれています。

 

俳諧師として宗匠(師匠)となった松尾芭蕉でしたが、俳句の指導だけでは生活できずに、水道工事の事務をして生計を立てていました。

 

1689年に「奥の細道」の旅に出て、諸国で名句を詠んだので大奥の弟子を獲得しました。

この旅は約2,400キロ、期間にして5か月ほどの長旅でした。

死の間際まで俳句を詠み、彼が亡くなった後の会葬には多くの弟子が集まりました。

 




奥の細道ってなに?

「奥の細道」ってなに?ってことについてかんたんに紹介します。

奥の細道とは、松尾芭蕉が俳句を詠みながら旅をした紀行文(旅行記)です。

弟子である河合曾良(かわいそら)と江戸を出発し、東北、北陸を巡り再び江戸に帰るという行程でした。

 

総距離2,400キロ、約150日かけて名所を訪れ俳句を詠み歩き、有名な「夏草や兵どもが夢のあと」「閑さや岩にしみ入る蝉の声」もこの時期に詠まれたものです。

この時代によくもてはやされていたのは、華やかな俳句ばかりでしたが、松尾芭蕉の自然の美や日本の侘び寂びを詠み込んだ俳句は俳句界に衝撃を与えました。

この奥の細道の旅で、多くの弟子を獲得し、松尾芭蕉の名は俳句界でさらに有名になりました。

 




有名な俳句は?俳句の意味は?

尾芭蕉の有名な俳句と意味を紹介します。

 

「夏草や兵どもが夢の跡」

源義経が自害されたとされる岩手県の平泉での句です。

今は夏草が生い茂るだけのこの地は、昔英雄たちが夢に破れた跡なのだな、という意味です。

 

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

山形県新庄で、地元の人から聞いた立石寺を訪れた時の句です。

夕暮れ時に本堂を訪れ、周りが静まり返る中、蝉の声だけが岩に染み入るように聞こえてくるようだという意味です。

 

「旅に病んで夢は枯野をかけ巡る」

松尾芭蕉が最期に詠んだ句。「辞世の句」ってやつですね。

旅先で死の床に伏していても、私は夢の中で見知らぬ枯野を駆け回っているという意味です。

旅を愛し俳句を愛した芭蕉の生き様を詠んだ句です。

 




忍者だった説がある?

尾芭蕉には忍者だった説があります。

この理由としては、約5か月で2.400キロを歩くのはとても歩く速度が速くなければならないからです。

そして松尾芭蕉は伊賀の国出身と言われ、伊賀と言えば戦国最大の規模を誇った伊賀忍者です。

 

松尾芭蕉は、伊賀忍者の血を引くのではないか?そもそもこの旅自体が隠密行動だったのではないかと言われています。

しかし松尾芭蕉の句の才能は、現代でも俳聖と言われるほど本物です。

実際に松尾芭蕉が訪れた場所に行ってみたいですね。

 

 

まとめ

ということで、
松尾芭蕉を5分で!有名な俳句の意味、奥の細道ってなに?でした。

 

松尾芭蕉についてかんたんに語るポイントは、

・超有名な俳人だった

・旅を愛した

・松尾芭蕉の俳句は、自然の美や日本の侘び寂びを詠み込んだものだった

・忍者だった説がある

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

ABOUT ME
りょーま(管理人)
れきし上の人物.comの運営者。「かんたんにわかり易く」をモットーに、歴史が苦手な人向けに、記事を作成しています。難しい話は省いて、通説を元に書いていることをご理解の上、気軽に読んでください。m(__)m
この記事を読んだ方は、こちらもみています。