幕末

近藤勇を5分で知る!新選組局長ってどんな人物?

近藤勇といえば、新選組とセットで有名でしょう。

名前は聞いたことはあるけど、どんな人物だったのでしょうか。女の子のファンも多いらしい・・・?

今回、近藤勇についてエピソードや偉業を紹介していきますよ。

 

近藤勇、プロフィール

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近藤勇(こんどういさみ)
改名:宮川勝五郎、嶋崎勝太、嶋崎勇、近藤勇
生誕:1834年11月9日(天保5年10月9日)
死没:1868年5月17日(慶応4年4月25日)
時代:江戸時代末期(幕末)
死因:処刑(※後述)
新選組局長、幕臣

 

名前ですが、「いさお」ではなく「いさみ」です。

農家の宮川家に生まれますが、剣の腕がたち、憧れだった武士を目指します。

やがて「新選組」の最高指揮官である局長を務めることになります。

後に新政府に処刑され、35歳という若さでこの世を去りました。(※処刑については後述)

 




近藤勇の偉業

近藤勇の偉業といえば、新選組局長として江戸幕府に尽くしたことでしょう。

その生き様は現代でも語りつがれ、さらにイケメンだったらしいということで、現代の男性にも女性にも尊敬されています。

そんな彼の偉業を、わかりやすく紹介していきますよ。

 

 

新選組局長として活躍

まず外せないのが、新選組局長としての活躍でしょう。局長といえば、最高指揮官です。

「池田屋事件」という事件は、けっこう誰でも聞いたことがあるのではないでしょうか。この事件で新選組は有名になるのです。

その戦いの中で、近藤勇は先陣を切り、大勢の敵に囲まれたりしながら、それらを突破し倒しています。

結果的に、新選組も深手を負いますが、池田屋は新選組が制圧するのです。

 

 

幕臣を務める

幕臣とは、幕府のボスである征夷大将軍に直接仕える武士のことですね。

近藤勇は、征夷大将軍・14代将軍徳川家茂の警護部隊「浪士組」に参加するのです。

これは武士にとって大変名誉のあることで、この時は近藤勇の「英雄になる夢」が叶った瞬間でもありました。

 

 

将軍のために処刑された?

「偉業」というくくりではないかもですが、彼の死因について。

近藤勇は当時の新政府に処刑されるのです。

めっちゃ簡単に説明しますと「坂本龍馬を暗殺したのが新選組=近藤勇」だと思われていたために、処刑されているのです。

 

日本史最大の謎ともいわれる「坂本龍馬暗殺」、こちらの記事で詳しく紹介していますよ。

>>>なぜ坂本龍馬は暗殺された?その理由や場所、犯人を分かりやすく説明。

 




面白い、凄いエピソード?

近藤勇の遺志を引き継いだのが土方歳三ですが、土方は美男子(イケメン)で有名です。

新選組が人気なのも、近藤や土方といったステキ男子ならでは。

それでは、近藤勇について面白いエピソードがあるので紹介します!

 

 

入隊に試験がなかった?

近藤勇が隊長をつとめた新選組というと、名前からして入るのが難しそうですが、じつは実技試験すらなかったそうです。

だったら何で判断したの?と思いますが、答えは「忠誠心」。

当時、尽忠報国とよばれた志(こころざし)があって、心身共に健康であれば新選組に入ることができたそうです。

ただし、試用期間(おためし)があり、ここで失格となる人は多かったようですよ。

 

 

愛読書は「水滸伝」や「三国志」?

「水滸伝」や「三国志」といえばいわゆる英雄ものです。

生まれの家である宮川の家で、実父の影響もあり、彼は小さい頃からこれらの本に親しみ、ヒーローに憧れ、人の上に立つもののイメージを膨らませたのかもしれません。

 

 

超努力家で、度胸も凄かった

当時から誰よりも稽古に励んでいたという近藤勇。

まだ若い頃、家におし入った泥棒を退治したことがあったそう。

その度胸と腕っぷしに、後の師匠・近藤周斎は惚れたといいます。これがきっかけで近藤家に養子に入り、近藤勇と名乗ることになるのです。

 

 

口がめっちゃ大きかった

なんでも近藤勇は口がめっちゃ大きかったらしいです。

逸話でとしては、拳を丸ごと口の中に入れることができたそうですよ。

 

 

めっちゃ刀が好き

近藤勇はガチで刀が好きだったそう。

暇さえあれば、刀の話をしていたそうで、愛刀は銘刀「虎徹」だそう。有名な刀なんだそうですよ。

さらに武士としての実力も相当なもので、かなり強かったようですね。

 

まとめ

近藤勇のエピソードや偉業を紹介しました。

新選組に入るのに必要なものは「忠誠心」だけだったのですね。

近藤勇といえば、新選組、池田屋事件などが有名ですが、まさに彼が幼少から憧れていたヒーローになれたのでした。現代でも語りつがれるほどですし、今でも人気者です。

 

近藤の幼少期の名前は勝五郎だったそうです。生まれながらに戦いと離れられない運命を背負っていたかもしれません。

彼の凄さは剣の腕だけでなく、その統率力にありました。彼自身に求心力があったというのも納得ですが、隊の者たちをまとめる力が優れていたのですね。

皆さんだったら、負けてしまうかもしれない戦いなのに、隊長だけを信じて参戦できますか?

最期まで自分の意志を貫いた近藤勇の生き方が今も伝えられる理由が分かる気がしますね!

 

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りょーま(管理人)
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