桓武天皇(かんむてんのう)といえば、教科書に出てくる天皇ですね。
794年に平安京に都を遷し、坂上田村麻呂を征夷大将軍に命じた人物です。
今回、桓武天皇のかんたんな経歴、母が朝鮮人で百済(くだら)からきた?について、紹介していきますよ。
桓武天皇、プロフィール
桓武天皇(かんむ てんのう)
出生地 不明
生誕 737年
死没 806年4月9日
享年 70歳
時代 奈良時代-平安時代
かんたんな経歴、何した人?どんな人?
父・光仁天皇と、母・高野新笠のあいだに、第一王子として生まれました。
母親である高野新笠の身分が低かったので天皇になることはないと思われていたのですが、政争によって他の天皇候補が退位したので皇太子となりました。
784年に長岡京(現・京都市西京区)に都をうつしますが、天災や身内に祟りが起こったので794年に平安京(現・京都市内)に都をうつします。
うつした理由は「こんなに災害が起こるのって天皇が悪いからじゃないか?」という考えが民衆に広まると、反乱がおきる可能性があったからです。
団結した民衆が反乱を起こすのは、朝廷としては何としても止めたいですしね。
また蝦夷(現在の関東地方や東北地方)を平定するために蝦夷征討を行いました。
坂上田村麻呂は、3度目の遠征で征夷大将軍に任命され、803年に志波城を築き東北地方を平定しました。
この時代の天皇は、主に政争によって幼い頃に天皇になる場合が多かったので、しっかりと政治をすることはあまり多くありませんでした。(周りの大人が代わりにしてしまうため)
しかし桓武天皇は、遷都や蝦夷を始めとする東北に軍を送るなど積極的に政治を行っていた珍しい天皇でした。
母が朝鮮人で百済(くだら)からきたって?
桓武天皇の母親である高野新笠(たかの の にいがさ)は、百済(くだら・朝鮮半島)の帰化人です。
帰化というのは、後からその国の国籍を取得し、その国の国民となることです。
最近だとお笑い芸人の猫ひろしさんがカンボジアに帰化してオリンピックに出場しましたね。
桓武天皇は、朝鮮人の血が入っていたからこの時代の成人男性の平均よりも高い身長だったと言われています。
桓武天皇は、母親のような帰化人をたくさん登用し、征夷大将軍に任命した坂上田村麻呂も帰化人だったと言われています。
まとめ
桓武天皇は怨霊に悩まされる生涯でした。
昔は、何かよくないことが起こると「怨霊のせいだ」「誰それの無念がこのような事態を引き起こしたのだ」とこの世の力じゃないもののせいにすることがありました。
なので、このような事態の原因は桓武天皇の不徳だと言われ、晩年まで桓武天皇は怨霊におびえていたのです。
しかし桓武天皇は、専制君主制を遵守し長岡京、平安京を作り東北を制定することによって国の力を大きくした功績があります。
遣唐使として空海と最澄を唐に送り仏教を学ばせることも行いました。この功績は、今の時代もしっかりと語り継がれています。
ということで、
5分で桓武天皇とは?母が朝鮮人で百済(くだら)からきた?でした。
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