井原西鶴(いはらさいかく)といえば、元禄文化の象徴とも言える文化人ですね。
センセーショナルな作品が江戸時代にあったなんてびっくりしてしまいますよね。
今回、井原西鶴のかんたんな経歴、小説の代表作品、俳句でも有名だったことを紹介します。
井原西鶴、プロフィール
名前:井原西鶴(いはら さいかく)
本名:平山藤五
出身地:大坂難波(現・大阪府大阪市)
生誕:1642年
死没:1693年9月9日
享年:52歳(不明)
時代:江戸時代中期
かんたんな経歴、何した人?どんな人?
井原西鶴は、大坂の難波(現・大阪府大阪市)の裕福な商人の家庭に生まれました。
15歳から俳諧師を目指し各地を放浪します。
全国を放浪し家業は他人任せだったようです。
わずか6年の間に実力をつけ、21歳の若さで俳諧の点者と呼ばれる俳句の先生になります。
30歳頃に西山宗因の弟子となり、ここで名前を西鶴と名乗ります。
西鶴の俳句はとてもユニークなものが多くオランダ西鶴と呼ばれていました。
そして師匠が亡くなった、41歳の時に好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)を書いて人気ベストセラー作家となったのでした。
しかし江戸時代後期になると、井原西鶴の作品そのものが世から忘れ去られてしまいます。
明治に入り、淡島寒月(あわしま かんげつ)によってまた注目を浴びるようになりました。
明治以降の作家に多大な影響を与えたと言われ、また人形浄瑠璃作家としても名を残しています。
西鶴には、妻と子ども3人がいましたが、皆に先立たれ西鶴も52歳の生涯に幕を閉じました。
小説の代表作品といえば?小説の特徴は?
井原西鶴の小説の代表作品は、デビュー作の好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)ではないでしょうか。
これは主人公の世之介という男の7歳から60歳までの理想の人生を描いた作品で、これまでにあった読み物とは明らかに違ったことから「浮世草子(うきよぞうし)」と呼ばれるようになりました。
浮世草子とは、今生きている世の中の人間の気持ちを描いた小説です。
その他にもお金をテーマとした町人のお金と欲望に生きる日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)や、大晦日の商人と庶民の駆け引きの姿を描いた世間胸算用(せけんむなざんよう)があります。
井原西鶴の作品は、人間の持つ欲望と願望、そして喜怒哀楽を使い巧みに感情表現されていることで親しみやすく読みやすいことが特徴です。
俳句でも有名だった?
井原西鶴は、小説家としてのイメージが強く残っていますが、41歳で好色一代男を書く前はずっと俳人でした。
京都の三十三間堂で、俳句の数を競うイベントがあり、ここで貞享元年6月5日に西鶴は23500句も詠んだとされています。
多くの観客が訪れて大変な賑わいとなった会場は、現代版の野外フェスと言った所でしょうか?
井原西鶴は4秒で1句読むよどの達人の粋を超えた作家でした。
西鶴は、水も食事も摂らずに俳句を読み、弟子たちも西鶴が読んだ俳句を書き留めるだけで精一杯だったいうエピソードが残されています。
まとめ
ということで、
井原西鶴を5分で!小説の代表作品といえば?俳句でも有名?でした。
井原西鶴をかんたんに語るポイントは
・好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)で小説家としてのデビューした
・小説家になる前は既に俳人として大活躍していた
・浮世草子を確立させた元禄の文豪
・明治以降の作家に大きな影響を与えた
・豪華絢爛な元禄文化を語る上で欠かすことの出来ない重要人物
辞世の句は、「浮世の月 見過ごしにけり 末二年 」。
意味は、「人生50年というが、私は2年も余分に生きて人の世を見ることができた」と歌っています。
なんだか、自分の人生を冷静に客観的に捉えている所がなんとも上品ですね。
最後まで読んでいただきありがとうございます^^