青木昆陽(あおきこんよう)といえば、蘭学者(オランダ文化の学者)で、さつまいもを広めた人ということで有名です。
今回、青木昆陽のかんたんな経歴、さつまいもを広めた人って?について、焼酎にもなってる?について、紹介していきますよ。
青木昆陽、プロフィール
青木昆陽(あおき こんよう)
出生地 江戸(東京)
生誕 1698年6月19日
死没 1769年11月9日
享年 71歳
時代 江戸時代
かんたんな経歴、何した人?どんな人?
江戸時代中期に、魚屋の一人息子として生まれました。
徳川吉宗の時代には、飢饉が多く農民の反乱を恐れた吉宗は、青木昆陽に甘藷(かんしょ=さつまいも)の栽培を命じました。
西日本では栽培出来ていたサツマイモを関東で栽培することは困難でした。
それを、上総国(現在の千葉県)で試作を成功させ、「天明の大飢饉」で多くの人々の命を飢饉から救うことに成功しました。
サツマイモを栽培すること以外にもオランダ語を学んでいて「和蘭話訳」や「和蘭文字略考」を著しました。
この書で蘭学が盛んになり、あの「解体新書」の翻訳者として有名な前野良沢にも多大な影響を与えました。
「甘藷(かんしょ=さつまいも)先生」と称され、昆陽神社では「芋神さま」として祀られています。
毎年10月28日の目黒不動の縁日では、「甘藷まつり」が催されるほど現代でも遺徳を偲ばれています。
さつまいもを広めた英雄!
甘藷(かんしょ=さつまいも)は、名前の通り薩摩(今の鹿児島県)から普及しました。
もともとは、中国から伝来したものだそうです。
薩摩から伝来したサツマイモは(カライモとも呼ばれる)関西地方を中心に各地で栽培され始めました。
このサツマイモに興味を持ち、「享保の大飢饉」で困窮していた農民たちを何とかしたいと思った江戸幕府八代将軍の徳川吉宗は、青木昆陽にサツマイモの栽培を命じました。
青木昆陽は、関東地方や離島で栽培出来ないか考え、上総国(今の千葉県)で試作を行いました。
このサツマイモの栽培が普及し、天明の大飢饉では農民たちの命を救ったのです。
日本を救った英雄といえますね。
焼酎になってるって?
青木昆陽は、なんと焼酎にも名前が使われています。
関東地方でのサツマイモ栽培に成功し、江戸時代の飢饉を救った青木昆陽に由来している芋焼酎は、力強い香りと優しい芋の甘味が特徴的です。
アルコール度数は、27度でウイスキーのような香りがするようですね。
あまりにも美味しいので度数を気にせず飲んでしまう人も多いのだとか…。
ぜひ一度青木昆陽の芋焼酎を飲んでみたいですね(お酒は二十歳になってから!)
まとめ
彼がもしサツマイモの栽培に成功していなかったら、関東地方の飢饉で人々はもっと苦しんでいたかもしれません。
もしかすると米問屋襲撃や農民一揆が過激となり江戸時代が終わってしまったかもしれません。
彼の栽培に対する情熱によって人々の命が救われたのです。
「甘藷先生」と親しまれていたことから、彼は江戸時代の隠れた救世主だったのではないかと思います。
ということで、
青木昆陽を5分で!さつまいも伝説って?焼酎にもなってる?でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます^^