(筆者・黒武者因幡)
日本史が苦手な人でも、おそらくこの人の名前や顔は覚えているんじゃないかという有名人の一人が、フランシスコ・ザビエルではないでしょうか。
漢字ばかりの人物が多い中、突如現れるキリスト教宣教師ザビエル。
これだけでも印象に残るのに、さらにビジュアル面でも印象に残る独特なヘアスタイル(ハ〇じゃないよ)
今でも、この写真を上げたら、6~7割の人は正解するんじゃないかと思います。
ところで、ザビエルってどんな人だかご存知ですか。
実は、単なるキリスト教宣教師ではないんです。
その話をするため、ザビエルの人生を簡単に紹介したいと思います。
実はいいとこのボンボン
ザビエルは、1506年4月7日、スペインのバスク地方のハビエル城で生まれました。
父親は地方貴族で、ナバラ王国の宰相を務める王の信頼厚い人物でした。
しかし、ナバラ王国はフランスとスペインの争いに巻き込まれ、1515年、スペインに併合されてしまいます。
父親は、この騒動の最中に亡くなり、少年ザビエルも大変な苦労をすることになりました。
友の影響で聖職者の道に
苦学したザビエルは、19歳で名門パリ大学に入学、哲学を学びます。
ここで、生涯の盟友であるイグナチオ・デ・ロヨラに出会います。
ザビエルは、ロヨラの影響を受け、聖職者への道を歩むことになりました。
宗教改革のまっただ中
この当時、キリスト教は大きな変革を迎えていました。
長年、多くの人の信仰を集めたカソリック(旧教)は、腐敗と堕落に塗れていました。
そして、ついにマルチン・ルターらが、カソリックと袂を分かち、新たな宗派・プロテスタント(新教)を結成します。
プロテスタントは、カソリックへの反発を覚える人たちからの支持を集め、カソリックは急速に力を落としていきました。
この状況に危機感を抱いたカソリック側の人物たちも、改革に乗り出しました。
その急先鋒となったのが、ザビエルの友人のロヨラだったのです。
ロヨラは、信頼できる友人らと一緒に、カソリックの復権のために働くことを決意しました。
この時結成された団体こそが、イエズス会で、創立者の一人にザブエルも名を連ねたのです。
イエズス会は、ローマ教皇の期待を集め、ロヨラたちは司祭に任命され、世界各地にキリスト教を布教させることに命を懸けていくのです。
ザビエルも海外に布教に乗り出しました。
最初はアフリカ経由でインドやインドネシアマラッカなどに出向き、多くの人をキリスト教に改宗させました。
そして、ザビエルは、1547年に薩摩からきたいわれるヤジロウという日本人に出会い、この出会いがザビエルを日本に導いたのです。
ザビエル日本へ
1549年、ザビエルはヤジロウを伴って来日しました。
最初は、ヤジロウの故郷の薩摩に向かい、島津貴久と面会しました。
布教の許可が下り、ザビエルは鹿児島でキリスト教を広めようとします。
最初は、薩摩の人たちはザビエルに好意的でした。
でも、それには理由があったのです。
インドからの高僧ザビエル?
ザビエルの通訳はヤジロウが勤めていました。
そのヤジロウは、気を利かせたのでしょう。
日本人にわかりやすいように、神を大日(如来)と訳し、ザビエルをインドから来た高僧と紹介しました。
ですから、日本人は最初、仏教の本場インドから来た偉い人と勘違いしたんです。
でも、詳しく話を聞くと、やがて違うことがわかり、地元の仏教勢力と対立することになりました。
仏教の教えが文化として根付いている日本での布教は、ザビエルにとっては、困難を極めていきました。
薩摩や平戸、豊後、山口、さらには京まで登りましたが、ザビエルが思ったように信者は増えていかなかったのです。
日本人に好意を持ったザビエル
しかし、ザビエルは日本を嫌いになったわけではありませんでした。
むしろ、東洋の島国で異教徒ながら想像以上の高い文化を誇る日本に好感をもったのです。
ザビエルは著書の中で「日本人ほど外国の親しみやすい国民はいない」とまで書いています。
そして、ザビエルは日本人にキリスト教を認めてもらうため、壮大な計画を練るのです。
日本での布教のために中国に渡る
ザビエルはいったん日本を離れ、中国に入ろうとしました。
それは、日本に大きな影響を与えている中国で布教が成功すれば、日本にもキリスト教が受けいられれるだろうという考えに基づくものでした。
しかし、ザビエルは中国に入る前に病気にかかり、1552年12月、46歳でこの世を去るのです。
日本人に自らを重ね合わせた?
なぜ、ザビエルはここまで日本での布教にこだわりを見せたのでしょうか。
ここからは推測になりますが、自分が素晴らしいと思う最高の教えを日本人にも知ってもらいたかったからではないでしょうか。
自分が戦乱の中で父を失い苦労した経験が、戦国時代で苦しむ日本人の姿に重なったのかも知れません。
そして、ザビエル自身が信仰によって助けられたからこそ、多くの日本人を助けたい、幸せに導きたいという情熱を他国以上に抱いたのではないでしょうか。
そして、ザビエルが愛した日本で、ザビエルが抜群の知名度を誇っているというをきっと喜ばしく感じてくれているのではないかと思います。
(筆者・黒武者因幡)