徳川慶喜(とくがわよしのぶ)といえば、最後の将軍として教科書に必ず出てくるほど有名です。
徳川幕府そして日本史上でも最後の征夷大将軍であります。
今回、徳川慶喜のかんたんな経歴、なぜ大政奉還した?狙いは?、子孫について紹介していきますよ。
徳川慶喜、プロフィール
名前:徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)
出身地:江戸 小石川(現・東京都文京区後楽)
生誕:1837年10月28日
死没:1913年11月22日
享年:77歳
時代:江戸時代後期-明治時代-大正時代
かんたんな経歴、何した人、どんな人?
徳川慶喜は、1837年に江戸小石川(現・東京都文京区後楽)にある水戸藩邸で生まれました。
七男として生まれ、父は第9代水戸藩主である徳川 斉昭(とくがわ なりあき)です。
幼名は松平七郎麻呂(まつだいら しちろうまろ)と言います。
慶喜が生まれた天保年間は、天変地異による農作物の不作が続き、大飢饉が発生し、「大塩平八郎の乱」をはじめ各地で農民一揆が起こるなど、幕府への不満が高まった時代でした。
水戸藩の教育ポリシーに基づいて、慶喜も水戸の藩校である弘道館で学問や武芸を学びました。
幼少の頃より、非常にかしこく、その噂はたちまち江戸幕府の耳にも入りました。
1847年に第12代将軍・徳川家慶(いえよし)の命を受け、同じ徳川一族であった一橋家に養子となります。
そして、1853年の黒船来航の大混乱の中で家慶が死去すると、すぐに後継者問題に巻き込まれます。
14代将軍候補として選ばれるも井伊直弼による「安政の大獄」で処罰され、謹慎生活を送ります。
その後、「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺されるとすぐに謹慎は解かれました。
1864年には、「禁門の変」と呼ばれる幕府と長州藩の戦いが起こり、見事勝利に導きました。
1866年に第14代将軍・徳川家茂が死去すると、ようやく第15代将軍の座につき、「大政奉還」から明治政府成立まで、あわただしい日々を過ごすこととなります。
まさに波乱の時期で、江戸幕府将軍なのに、一回も江戸城に住んだことがありません。
明治新政府となってからは、隠居先の静岡でたくさんの趣味を満喫する生活を送ります。
その後東京都文京区に住まいをうつし、貴族院議員に就きました。
8年間の議員生活後は、再び趣味を満喫する生活を送り77歳の人生を閉じました。
なぜ大政奉還した?狙いは?
ものすごい勢いでたくさんの出来事が起こった幕末ですが、その一つに「大政奉還」があります。
超有名で重要な出来事ですね。
大政奉還については、こちらの記事でかんたんにわかり易く紹介しています。
で、なぜ大政奉還をしたのでしょうか。狙いは?ってことですよね。
実はこの頃、江戸幕府に不満を持つ者、日本の夜明けを夢見る者とで日本中は大混乱に陥っていました。
そんな大混乱の日本を植民地支配しようと外国が狙っていたのです。
新政府軍の陰にはイギリスが、徳川幕府軍の陰にはフランスがついていました。
植民地支配の恐れに気付いた慶喜は、このタイミングで新政府軍と徳川幕府軍の戦いが始まれば、すんなりとイギリスかフランスの植民地支配されることが予想されたために、慶喜は大政奉還を行い争いを避けたのです。
大政奉還を行えば、新政府軍は徳川幕府軍を倒す理由を失い、争う必要がなくなるからです。
しかし、大政奉還=政権交代の意味ではなく、大政奉還後も政治の実質的リーダーは慶喜であったことから、結局は新政府軍と徳川幕府軍が争うこととなった「戊辰戦争」、そして明治新政府という歴史を辿ることとなります。
この大政奉還が行われたことで源頼朝の時代から約680年間続いた日本の武家政権は終わりを迎えました。
ともあれ、植民地支配の危機から日本を救った慶喜は、もっと高い評価を得ても良さそうです。
徳川の子孫は現代もつづいてる?
徳川慶喜は、1913年の大正2年までご存命でした。
幕末の人物でありながら、大正まで生き続けてくれたなんて、急に親近感が生まれてきます。
そして気になる子孫ですが、徳川慶朝(とくがわよしとも)さんがいらっしゃいました。慶喜のひ孫です。
カメラマンとして活躍なさって、慶喜と同じ「慶」の字が入っていることもポイントです。
しかし2017年に亡くなられました。
慶朝さんには3人の子ども(2男1女)に恵まれますが、離婚したことにより親権は手放します。
つまり、慶朝さんが亡くなられたことにより、徳川慶喜家は断絶したことになります。
慶朝さんは生前から、「徳川を継いでいくことにはこだわらない」とおっしゃっていました。
あるコメントでは、
「誰かに家を継がせたいという欲はないです。歴史や過去は変わらないですが、現代を生きる私たちは、私たちの好きなように人生を生きればいい。家に縛られる必要はなく、自分の幸せだけを考えて生きていけばいいんです。人はいくら長生きできたとしても、本人が死んだら終わりなのですから。だから慶喜家は自分で終わりになっても、惜しいとか残念とは思いません。」
ということです。
徳川家の子孫だという誇りは当然あったと思いますが、このように自由に生きるのも素晴らしいし、素敵だと思います。
そういえば、「水曜日のダウンタウン」で「徳川慶喜を生で見た事がある人ギリこの世にいる説」とかいうおもしろいテーマで放送していましたね。
本当にまだいてびっくりしました。(・∀・)
まとめ
5分で徳川慶喜について!なぜ大政奉還した?狙いは?子孫は今なにしてる?でした。
徳川慶喜をかんたんに語るポイントは、
・日本史上最後の征夷大将軍だった
・江戸城には、1度も住まなかった
・約680年続いた武家政権を終わらせた
・大政奉還で日本の植民地化を防いだ
・徳川慶喜を生で見た事がある人ギリこの世にいた!
最後まで読んでいただきありがとうございます^^