細川ガラシャを5分で!容姿の絵や子孫、辞世の句の意味は?

細川ガラシャといえば、明智光秀の娘ですね。当時ではかなり珍しい風な名前ですが、どうしてこのような名前なのでしょうか。

今回、細川ガラシャの人物エピソードや偉業、超美人だったという容姿のことや子孫について、また辞世の句の意味について紹介していきますよ。

 

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細川ガラシャ、プロフィール

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細川ガラシャ
本名:たま(珠/玉)
生誕:1563年
死没:1600年8月25日
死因:ほぼ自害(キリシタンのため自害NG、後述)
時代:室町時代(戦国時代)-安土桃山時代

夫:細川忠興(ほそかわただおき)
明智光秀の娘

細川ガラシャはとても綺麗な人だったということで現在でも有名です。

そもそも「ガラシャ」って本名なの?ほんとに美人だったの?

彼女の性格や人物エピソードを紹介していきます。

 

本名?ハーフ?

そもそもガラシャって何?本名なの?って事ですが、これは本名ではありません。

本名は「たま(玉/珠)」といいます。

なぜ「細川ガラシャ」なのかというと、これは彼女がキリシタンだからなのですね。「細川ガラシャ」は当時のキリスト教徒たちが彼女を讃えてそう呼んでいたのです。

だから現在でもこの名前で有名なのですね。

 

ちょっと「細川ガラシャ」になるまでの経緯をザックリと紹介していきますね。

彼女がキリスト教に興味をもったのは、他所で話を聞いてきた夫・細川忠興の話から。夫の話に大変興味をもったのですね。

でも、夫には、「ふーん、そうなんだ。」と興味なさげな態度をとっていました。でも実は興味津々。

ある時、彼女は女侍数人従えて、こっそり教会に行きました。

彼女はそこにいた修道士たちに、キリスト教についてめっちゃ質問し、めっちゃお話したのです。

修道士たちは、「これほど理解、判断のできる、頭の良い日本女性と話したのは初めてだ」との言葉を残しています。

俄然、興味津々な彼女ですが、女侍たちの帰りが遅いことから彼女の外出もバレて、教会に迎えが来ます。

教会側は、迎えに尾行をつけ、彼女が細川家の奥様であることを知り、彼女の身なり、上品さに納得したのです。

 

その後は外出できる可能性がほぼ0%な彼女。

教会に行かなければ洗礼をうけることもできないため彼女は、先日修道士たちに聞いた話を参考に信仰を続けていたのです。

しかし色々あって、自分の屋敷でこっそり洗礼をうけることに。そこでもらった洗礼名、クリスチャンネームが「ガラシャ」なのです。

ちなみに、この経緯中に豊臣秀吉が「バテレン追放令(キリスト教、南蛮貿易の禁止)」をだしたりして、命がけの信仰だったのですね。

 

 

めっちゃ美人だった?容姿の絵や子孫は?

戦国最大の美女とも言われる、細川ガラシャ。

本当に美人だったの?顔や容姿の絵的なものはないの?って感じですよね。

まあ、当時は写真的なものはなく肖像画などの容姿の絵もないので、容姿についてははっきりとはわからないのですね。

では、彼女が超美人だったと言われる逸話を紹介していきます。

 

夫・細川忠興を「戦国一嫉妬深い男」に

細川ガラシャが美人すぎるゆえか、夫の忠興は狂気と言えるほどのジェラシーを連発しています。

 

有名なのが、

  • 基本的にガラシャを軟禁。他の男達にガラシャをみせたくない。
  • 庭師がガラシャの美貌に見惚れていたから、庭師を斬る。
  • ミスをした奉公人を忠興は怒る。しかしガラシャはこれをかばった。これに忠興はブチギレて奉公人を叩き斬り首をガラシャに投げつける。
  • ガラシャに直接「人質になるくらいなら自害しろ」と言う。
  • 家臣たちに「妻を人質にとられそうになったら、妻を殺せ」と言う。

 

妻を貞操を脅かされるくらいなら、死んでくれということでしょうか。まさに狂気といえるでしょう。(・∀・)

ちなみに、ガラシャの夫・忠興もかなりの美男子だったそうで美男美女夫婦と言われていたそうですよ。

 

子孫もイケメン?

こちら、故・細川隆一郎さん(政治記者、評論家)は、細川ガラシャの血を引いているとの事で、つまりガラシャの子孫でした。

こちらの方。

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晩年の写真でおじいさんではありますが、やっぱり整った顔立ちですよね!

 

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壮絶な死、辞世の句

彼女の壮絶な死は、宣教師によって欧米にまで語りつがれる事になり、なんとオペラにもなっています。細川ガラシャが妙に有名なのも納得ですね。

その辞世の句(この世への別れの言葉)も有名です。

彼女の死をザックリ紹介してみましょう。

 

夫・忠興はいつも屋敷から外出する時、家臣たちに、

「妻の貞操が危うくなったら、まず妻を殺せ。」と言っていました。

ガラシャにも「人質にとられそうになったら、死ね。」と言っていました。

これは、先にも紹介した、忠興のヤバすぎる執着愛によるものでしょう。

 

で、いよいよ戦で石田三成が、細川屋敷にいたガラシャを人質にとろうとします。

しかし、ガラシャはそれを拒否。

三成はそうなったら力づくでガラシャを人質にとろうとし、屋敷を包囲します。

それを家臣がガラシャに告げると、ガラシャは少し祈ったあと「夫の命じている通り、自分が死ぬ」といい、まず屋敷にいた侍女・婦人を全員逃します。

しかし、ガラシャはキリシタン。キリシタンでは自害は禁止されています。

ガラシャは家老の少斎に「わたしを斬ってください」頼み、気高く散るのです。その後少斎は、ガラシャの遺体が残らないように、屋敷に火を着け、自らも自害します。

 

その時のガラシャの最後の言葉、辞世の句

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

がとても有名ですね。

意味は「人も花も、散り時を知っているからこそ美しい。」といったところでしょう。

本当に肝の座った、美しい女性だったのですね。

 

ちなみに、ガラシャのキリスト教への改宗を知った忠興は超激怒していたそうですが、忠興はガラシャの葬式をキリスト教式でやったそうですよ。

上でも書きましたが、この花のある死に様は、宣教師によって欧米にまで語りつがれ、オペラにもなっています。

 

 

まとめ

細川ガラシャのエピソードについて紹介しました。

容姿の絵、肖像画はないのですね。子孫も良い男風だし本当に美しい女性だったのでしょう。

夫・細川忠興の嫉妬には本当に苦労したでしょうが、辞世の句や死に様は、とても華がありましたね。

 

ということで、細川ガラシャをカンタンに語るには、

・「細川ガラシャ」は本名ではない。本名は「たま」。

・超美人で夫・忠興のジェラシーに苦労した。

・その壮絶な死は海外でも有名。オペラにもなった。

 

こんな感じですね。(・∀・)

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