皆さんは、織田信長の家臣に外国人の人物がいたという事実をご存知でしょうか。
その人物の名は弥助といい、当時の国際交流を見直すことができる人物として近年注目を集めています。
しかし、彼の存在を知っているという方は少なからずいらっしゃるかと思いますが、彼がどのように日本へと入国し、またどのようにして信 長に仕えることとなったのかをご存知の方は、意外と多くないのではないかと思われます。
そこで、この記事では弥助の生涯を紹介していきます。

宣教師に連れられて来日し、信長と面会することに
弥助の行動が確認できるのは、彼が日本を訪れた天正7年(1579年)以降のことです。
どうしてこの人物が来日することになったかといえば、当時日本との交流に力を入れていたイエズス会の宣教師ヴァリニャーノが日本行きを決意したためです。
ヴァリニャーノはその際に護衛として弥助を含めた何人かの人物を選出したと思われ、宣教の旅に付き従うことになりました。
最初に彼ら一行が訪れたのは、日本の中でも比較的キリスト教に友好的な態度を表明していた九州の地でした。
ここでは各地に点在するキリシタン大名の拠点を訪問し、彼らと交流することになったのではないかと思われます。
ヴァリニャーノは旅の目的を果たしたため、帰国の途に就こうとしました。
そこで、彼は日本を去るにあたって時の権力者である織田信長に拝見し、挨拶を述べてから国を去ろうとしたのです。
こうして彼と信長の間には面会の機会がもうけられ、弥助もまた京都を目指すことになったのです。
黒人であった弥助の姿が注目を浴び、信長の家臣となった
弥助が京都に到着すると、宣教師の一団を見慣れているはずの民衆すら沸き立つ騒動になってしまいました。
その理由は単純で、弥助の肌が黒かったためと言われています。
現代を生きる我々からすれば、アフリカ系の方が黒色の肌を有していることは珍しいこととも思えません。
しかし、当時の日本人が知り得た外国人は
・宣教師の白人
・中国・朝鮮の大陸アジア人
・琉球人
というのが関の山であり、黒人と知り合う機会は皆無といってもよかった、という事情がありました。
この騒ぎは信長の耳にも届いたようで、彼は騒動の原因となっていた弥助との面会を求めました。
ヴァリニャーノの立場としては「そんなに取り立てて騒ぐことか?」と思ったかもしれませんが、彼としても信長の要求を断るほどの理由はなかったために面会が実現したのです。
面会場所は本能寺と定められ、信長と交流があった宣教師のオルガンティーノを仲介人として弥助は信長の眼前に臨みました。
弥助の姿を見た信長は、その異様な出で立ちに大層興味を示したと言われています。
しかし、彼の肌が黒いことを改めて認識した信長は「弥助の黒色は塗料か何かで加工されたものではないか」と考えたようです。
弥助に上半身の召し物を脱ぐよう指示すると、彼の肌をさまざまな手段で見分したと記録されています。
信長が行なった行為としては、彼の肌を引っ張ってみる・こすってみる・洗ってみる、などなどでありました。
弥助としては不思議な心境であったことと思いますが、出来得る限りの手段を試しても彼の黒色が落ちることはなかったのでしょう。
ここで信長は彼の肌色が生まれつきのものであることを認識し、ヴァリニャーノは信長への献上品として弥助を差し出したと伝わっています。
この申し出に信長はたいそう喜んだようで、弥助の家臣生活がスタートすることになりました。
家臣として厚遇されたものの、本能寺の後は行方不明に
信長に仕えた弥助は小姓(武将の身辺に仕え、さまざまな雑用をする)という職に任じられ、武士の身分にも取り立てられました。
記録によれば彼は私邸に従者、さらには刀までもを信長から与えられていたと伝わっており、働きぶりも上々だったのかもしれません。
しかし、信長に仕える生活は唐突な終わりを迎えることになりました。
天正10年(1682年)、信長の家臣である明智光秀が彼を暗殺する本能寺の変が勃発。
信長の小姓として近くに仕えていた弥助も乱に巻き込まれ、奮闘したものの彼もまた明智勢に捕らえられてしまったようです。
こうして敵軍に捕らえられた武将は処刑されるのが世の常ではありますが、光秀は熟考の末「黒人は武士ではないので、教会に送っておけ」という命令を出しました。
弥助は一命をとりとめたものの、この後は記録や史料に一切登場しなくなってしまいます。
彼が本能寺以後にどういった生涯を送ったのかは完全な謎になってしまっていますが、少なくとも能力を発揮できなければ司令官であっても追放・処刑を辞さない信長から一定の評価を受けていたことは間違いありません。
歴史にifは禁物ですが、もし信長が天下を統一していれば今から500年以上も前に「黒人の大名」が出現していたのかもしれませんね。
【出典】
岡田正人『織田信長総合辞典』雄山閣出版、1999年。
ロックリー・トーマス(不二淑子訳)『信長と弥助:本能寺を生き延びた黒人侍』太田出版、2017年。
(筆者・とーじん)