飛鳥時代

天武天皇の正体がナゾって?孫の自害や持統天皇との関係は?

天武天皇(てんむてんのう)といえば、学校で名前は聞いたことがあるでしょう。

でも何をした人なのか良く分からないですよね。

孫の自害のウワサや、持統天皇との関係、また天武天皇(てんむてんのう)がそもそも正体がナゾだというウワサについても紹介していきますよ。

 

天武天皇、プロフィール

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天武天皇(てんむてんのう)
即位前の名前:大海人皇子(おおあまのおうじ)

出身地:大和(奈良県)
生誕:不明
死没:686年9月9日
享年:不明
時代:飛鳥時代

40代天皇

 

天武天皇って何した人?どんな人?

天武天皇(てんむ天皇)は、壬申の乱に勝利して天皇になった、天智天皇(てんじ天皇)の弟ですね。

経歴を紹介すると、似たような名前がたくさん出てきてわかりづらいのですが、できるだけカンタンに経歴を紹介していきますよ。

 

天武天皇、経歴

天武天皇(てんむ天皇)はどんな人物だったのか。

似たような名前がたくさんでてきてわかりづらいのです。

天武天皇だとか、なんちゃら天皇とかいうのは、本名というよりは、芸名みたいなもんですね。(・∀・)

 

ここでは、

・天武天皇(てんむ天皇)=大海人皇子(おおあまのおうじ)

・天智天皇(てんじ天皇)=中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)

・弘文天皇(こうぶん天皇)=大友皇子(おおとものおうじ)

たちが、絡んできます。

 

では、てんむ天皇の経歴を紹介していきましょう。

てんむ天皇は、中大兄皇子(天智天皇)の弟です。

てんむ天皇は、天智天皇を引き継いで、天皇の権力を強化したのです。

 

中大兄皇子が天智天皇として位につくと、次の天皇は弟の大海人皇子になるだろうと、だれもが思っていました。

しかし天智天皇は、次の天皇を、自分の子・大友皇子(弘文天皇)にしました。

この事実から、大海人皇子(てんむ天皇)は命の危険を感じます。

 

大海人皇子(てんむ天皇)は、いったん吉野(現在の奈良県南部)に身をかくし、天智天皇の死を待ちました。

兄・天智天皇の死後、朝廷に反抗して、自分が天皇になろうとしたのです。

時が来て、朝廷は、大海人皇子派と大友皇子派のふたつにわかれて激突しました。

これを、壬申の乱(じんしんのらん)といいますね。

 

結果は、大海人皇子派(てんむ天皇派)の圧勝でした。

戦いに敗れた大友皇子は、次の日に自殺しました。

そして大海人皇子は天武天皇(てんむ天皇)として位につきます。

その時には、大友皇子派の有力豪族が力を失い、ごっそり朝廷からぬけたため、てんむ天皇は強大な力をもちました。

そのため、兄・天智天皇が進めた政治改革は、兄自身がきらったてんむ天皇によって引きつがれるという、皮肉な結果となったのです。

 

天武天皇は、684年に「八草の姓」を定め、天皇中心の身分制度をつくって、豪族たちを支配することに成功しました。

豪族たちを、力によって押さえつけるのではなく、身分を与えて支配したのです。

これによって、天皇の力は絶対的なものとなったです。

 

こちらの記事で関連人物、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)について、カンタンにわかり易く紹介しています。

>>>中大兄皇子(天智天皇)を5分で!中臣鎌足との関係、大化の改新って?

 




正体が不明って?

実は、天武天皇はナゾが多い人物なのですね。正体がよくわかっていないのです。

まず生年月日がわかりません。

天智天皇の弟とされているのですが、何歳くらい年下なのかすらわかっていません。

 

そして、その兄の娘を4人も妻にしていることも、ちょっと異常ですよね。

このような事から、天武天皇が天智天皇の弟ってウソなんじゃね?説がとても根強いのです。

いまでも天武天皇の正体に関して、いろいろな研究がされているようです。

 




孫の自害って?

天武天皇の孫は自害、自殺しているのですね。

天武天皇の子供達は必ずしも幸福とは言えませんでした。

 

孫の名前は、長屋王(ながやのおおきみ)といいます。

長屋王(ながやのおおきみ)は、血筋がいいだけでなく、政治家として仕事もバリバリできました。

けっこう有名な人らしいです。(・∀・)

しかし、肖像画などは一切ないようです。

孫の自害するまでの流れは、「長屋王の変」として有名です。

 




持統天皇との関係って?

天武天皇と持統天皇との関係について。

持統天皇は、天武天皇の妻です。

持統天皇は、天智天皇の娘です。

天武天皇(てんむ天皇)と、天智天皇(てんじ天皇)は兄弟です。

 

つまり、天武天皇からしてみれば、持統天皇は姪っ子ですね。

持統天皇からしてみれば、天武天皇は叔父さんですね。

そんなふたりが結婚しているのです。

 

持統天皇は、非常に聡明で、実権を握りました。

元の名前は、野讚良(うののさらら)といいます。

 

こちらの記事で、持統天皇について、天智天皇について、カンタンにわかり易く紹介しています。

>>>持統天皇を5分で!百人一首「春過ぎて…」の意味や天武天皇との関係って?

>>>中大兄皇子(天智天皇)を5分で!中臣鎌足との関係、大化の改新って?天智天皇を5分で!

 

 

まとめ

圧倒的なカリスマの持ち主とされた天武天皇。

不安定な政情と家族間の確執の中で、激しい生き方をした人です。反面、和歌や漢詩に親しむ教養人でもあったのです。

ある意味オールマイティなお人だったのですね。

 

ということで、天武天皇をカンタンに語るポイントは、

・天武天皇の正体がナゾ!

・壬申の乱(じんしんのらん)に勝利し、天皇になった!

・天皇になって、天皇の権力を強大なものにした

 

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